徳川家康のルーツを探る : 「源氏」の出という説は実は曖昧
江戸幕府を開いた初代将軍・徳川家康がドラマの主人公となったことで、日本では今年、家康ブームが起きそうだ。だが、家康には虚実入り混じった伝説が多く、知名度のわりに実像が知られているとは言い難い。家康とは? 徳川とは? また、彼が現在の日本の成立に及ぼした影響とは?
徳川家康のルーツは、実ははっきりと分かっていない。歴史家がこの謎をひも解こうとしたが、確固たる史料がないのだ。現存する史料はいずれも後世、意図的に家康の功績を賞賛するように編纂(へんさん)した「伝記」のたぐいで、信ぴょう性に欠けるのである。
そうした史料の1つに『三河物語』がある。徳川の有力な家臣だった大久保忠教(おおくぼ・ただあつ)が著した書だ。成立は1626~32(寛永3~9)年頃。ここに、徳川のルーツが載っている。
徳川の名字は家康が名乗りはじめたもので、以前は「松平」だった。『三河物語』は、その松平の始祖を松平親氏(まつだいら・ちかうじ)とする。幕末まで日本を支配する徳川は、この親氏から始まるのだが、親氏が松平を称するまでの経緯が面白い。
親氏は、上野国にあった新田荘世良田村(にったのしょうせらだむら)の徳川郷(得川とする説もある)で生まれた。現在の群馬県太田市だ。
親氏の系図をさかのぼると、新田義季(にった・よしすえ)という人物に行き当たり、さらに義季の父は源義重(みなもとの・よししげ)。「源」が意味するのは、武家の名門・清和源氏の流れをくむということだ。
親氏は出家して時宗(じしゅう/浄土宗の一派)の僧侶となり、諸国を巡る修行に出る。流れ着いた三河国(現在の愛知県)松平郷で、跡継ぎのいなかった土豪の松平太郎左衛門尉信重(まつだいら・たろうざえもんのじょう・のぶしげ)の娘婿となり、松平を継いだ。
あくまで『三河物語』の記述であり、鵜呑みにはできないが、これが家康の祖先だ。
現在、群馬県太田市世良田町の源義重館跡といわれる場所に、「世良田東照宮」が立つ。東照宮は死後の家康を神として祀(まつ)った神社で、ここを徳川発祥の地であるとうたうが、親氏が源氏の流れをくむ新田義季の子孫であることを証明する史料は今のところ見つかっていない。
義父となった松平信重の出自も確定できない。『松平氏由緒書』(松平郷に伝わる史料)には日本の神官の名門氏族、賀茂氏や鈴木氏の流れをくむと記されているが、確証はない。
つまり、松平のルーツは正確には分からず、したがって家康のルーツも曖昧と言わざるをえないのだ。