杉本博司、古美術展示の「完成形」。春日大社で見る信仰の対象としての美術
「古美術の展示については、これがひとつの完成形」。杉本博司をして、こう言わしめる展覧会「杉本博司ー春日神霊の御生(みあれ)
御蓋山そして江之浦」が、古都・奈良の春日大社国宝殿で始まりを迎えた。
春日大社は1300年前の奈良時代初め、奈良盆地の東に位置する神山・御蓋山の頂に、茨城県鹿島の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗って降り立ったのがその始まりとされている。768年には御蓋山の中腹に4棟の本殿が建てられ、1003年には若宮神が出現し、1135年には御蓋山を背にするかたちで若宮が造営される。全国に約1000社を数える春日神社の総本社であり、いまや世界文化遺産「古都奈良の文化財」のひとつとして国内外に広く知られる存在だ。
ここ春日大社は春日信仰の発祥地であり、藤原氏の氏神として藤原氏の氏寺・興福寺とも密接な関係を持ち、神仏信仰の中核を成してきた。
アーティストであり、仏教美術や神道美術に強い関心を持つ杉本博司は、この春日信仰にまつわる古美術の数々を収集。2022年初頭には、神奈川県立金沢文庫で春日大社とともに春日信仰を紹介する特別展「
春日神霊の旅─杉本博司 常陸から大和へ」を開催したことは記憶に新しい。
そんな杉本は、春日明神への崇敬から、22年3月には春日大社から御祭神を勧請。自身の代表作であり日本を代表するアートスポットとしても知られる小田原文化財団
江之浦測候所に「甘橘山 春日社」を創建し、春日御神霊が遷座したという経緯がある。
いっぽうの春日大社では22年10月、20年に一度のタイミングで行われる春日若宮の「式年造替」(御殿の建て替えと神宝の新調)が完了。こうした流れのなか、若宮にとって43回目の式年造替を祝して開催されるのが本展だ。
杉本作品から国宝まで
会場となるのは春日大社国宝殿。展示は「杉本博司 神々の風景」から「神遊びの仮面」までの6章で構成された。
国宝からは「本宮御料古神宝類 金銅鈴」(平安時代)や「称名寺聖教/金沢文庫文書」(鎌倉時代)などが出展。また重要文化財も《古神宝銅鏡類
瑞花双鳳八稜鏡》や《木造舞楽面
地久》など10点以上が並ぶ。これだけでも十分に見応えがある展示だが、今回はそこに春日大社の若宮社のみが描かれた唯一の宮曼荼羅《春日若宮曼荼羅》(鎌倉時代)や杉本と須田悦弘が補作した《春日神鹿像》
など、杉本博司や小田原文化財団が所蔵する古美術が加わる。
展示の見せ方も秀逸だ。ガラスケース内には畳が敷かれ、座敷のような雰囲気が醸し出されている。それぞれの掛け軸や古美術が、生まれた当時のようにそこにある状態。杉本はこの展示形態について、次のように喜びを表現している。
「800年前にここにあったものが先祖帰りし、展示することができた。これらが美術品としてではなく、信仰の対象として見られればよい。古美術の展示については、これがひとつの完成形。自分で本当に納得がいくかたちで、『古美術はこう見せるべきだ』とお示しすることができるような満足のいく展示になった」。
展示照明についても、杉本は「古美術にとってベストな状況が光で再現できているのではないか。『こう見せたい』という理想的な状況が実現できた」と自信をのぞかせており、春日大社の花山院弘匡(かさんのいん・ひろただ)宮司も「当時の人々が思いを馳せた形態が、ここに再現されている」と賛辞を贈る。
「夢中で撮影した」新作屏風
本展では新作も大きな見どころのひとつとなっている。杉本は今回、3つの巨大な屏風作品を新たにつくりあげた。国宝殿に並ぶ《春日大宮暁図屏風》と《春日大社藤棚図屏風》(ともに2022)は、それぞれ春日大社でデジタル撮影したものを和紙にプリントした屏風型の作品だ。
とくに注目したいのは《春日大社藤棚図屏風》。3月の終わり頃、藤棚が満開になる直前の朝日が昇った直後に急遽撮影されたというこの作品。杉本はそこに「鎌倉時代のような状況が出現し、ご神託が下ったような感じがした」と話しており、「夢中で撮影した」と当時の様子を振り返る。
上述の若宮にある、日本最古とされる重要文化財の神楽殿にも屏風作品が置かれている。《甘橘山春日社遠望図屏風》(2022)に写るのは、手前に甘橘山 春日社、遠くに相模湾と伊豆大島を望む雄大な風景。八曲一隻という巨大なサイズに引き込まれることだろう。
杉本が歩んできた春日信仰の旅路。展覧会としてその集大成を迎えるなか、杉本は感慨深げにこう語っている。
「私の作品は、神道的なスピリットを現代美術としていかに表現するかというところにある。自然とともに生きるのが日本人のメンタリティであり、そこに回帰するという心持ちで作品をつくってきたおかげで、春日のご本山に戻って来られた」。
神山と自然と人がいまも共存している古都・奈良。ここで杉本博司と春日信仰の邂逅を見ることは、ごく自然なことと言えるだろう。