【大人の習い事体験記】お茶会という未知との遭遇
入門させていただくとき、お家元に聞かれたことがあります。
「どこを目標にお稽古をしたいですか?」というような内容だったかと思います。ぽかんとしている私に、さらに説明を加えてくださいました。例えば、お茶会でお点前を披露したいとか、お免状をとるとか、看板を持ちたい、などの希望があるか、などなど。
実は、お家元にお稽古をつけていただきたいと大それたお願いを申し上げておきながら、そのような目標は想像すらしていませんでした。
私はただ、お稽古を重ね、超絶美味なお茶を自分で淹れられるようになるのが目標でした。お家元の「飲む人の精神性が茶の味をきめる」という言葉を耳にして、おいしいお茶の味がわかる人となるには、たくさんの学びが必要なのだろうな、と思ったのが入門を切望したきっかけです。「わざわざお家元にお稽古をつけていただくのに、この入門理由は志が低すぎるのでは…」。はたと気づくも、本当のところをお伝えするしかありません。まずは自分のために美味しいお茶を淹れられるようになりたいこと、教養として文人趣味や和文化を学びたいこと、学びを続けるうちにお免状などの目標がでてくるかもしれないけれど、未知の世界すぎて今は想像がつかないことも。
「そうですか、菅野さんのご希望はわかりました」。とお家元がおっしゃったような気がしますが、そのあとの質問が晴天の霹靂で、そのご返事の正確な文言の記憶が飛んでいます。家元がさらりと、こうおっしゃいました。「着物はどうですか?」と。「お茶会では、基本は着物を着ます」。
「キ・モ・ノ~?」 ここ数年のなかでも、私ごとに限ればトップ3に入りそうな驚きだったかもしれません。自分がお茶会に参加させていただけるとも思っていなかったですし、私の妄想の範囲では、「大好きな骨董市を巡りながら、あのおままごとのような茶器を少しずつ収集してお茶を淹れたら楽しいだろうな」。「家族や友達にふるまったら、びっくりするんじゃないかしら」。といった、ひとり、こぢんまりとお茶を淹れて満足している光景しか浮かんでいませんでした。“お茶と着物は密接な関係にある”と、うっすらと認識はしていても、「お茶のお稽古=着物=自分が着る」の図式は頭に全くなく。着物とは無縁な生活をしてきたので、私にとって“キモノ”は憧れではあるものの、まるでおとぎ話の主人公がまとうお衣装くらいに遠い存在です。それも、正直にお伝えするしかありません。「人生の中で数回しか着たことがなく、何も知識がありません」。その時は、煎茶道というエベレスト級の高き山に挑戦しようと思ったら、着物というK2級の山まで出現したかのような気持ち。お家元は、ダメダメ入門者にお茶席での着物の装いを説明してくださったあと、こう付け加えてくださいました。「最初は洋服でかまいませんよ」と。
生まれた時から、煎茶道の英才教育を受けてきたであろう4代家元にとって、一から十まで、こんなにも和文化を知らない成人がいるのかと、私の受けた衝撃以上に驚いていることは想像にかたくありません。それでも辛抱強く教えてくださるのは、形式的なことよりも、文人趣味の思想を楚とした、精神的豊かさを大切にしている流派だからだと思います。ありがたい限りです。