大阪中之島美術館館長「いろんな人がつくってきた文化や芸術のあり方が“大阪の視点”に」〈AERA〉
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40年の構想を経て今年2月にオープンした大阪中之島美術館。初代館長の菅谷富夫さんに美術館の魅力を聞いた。
準備室ができた初期から学芸員として関わり、整備計画の行方を見てきました。大きく3回、方針をつくり替えています。そうして時代の要請に合わせないと、美術館は生き残れなかったでしょう。
PFIの導入は政策的な判断でしたが、新しい美術館像を検討するなかで企業や大学、NPOなど様々な組織との連携は考えていました。「みんなのまち 大阪の肖像」[第2期]でも多くの企業の協力のもと、1970年代の実物大の工業化住宅を復元してもらって、自分たちだけではできない広がりを実現できました。そんな考えの延長線上にPFIはあり、特にコンセッション方式は民間企業の裁量を大きく認める手法ですがうまくいっていると思います。
「大阪の視点」とは、地域の力を見る目。美術のあり方や、取り巻く環境、作家のあり方など、大阪の土壌だから成立したであろうものがあって、それは主流とされる価値観とは異なります。本来アートは柔軟なもので、美術ジャーナリズムやアカデミズムが作り上げてきた、日本美術史からは抜け落ちてしまう視点を拾っていく。美術の歴史は各地方にあったはずで、それぞれの場所からの視点の広がりを突破口に美術の見方がより豊かになっていけばいい。
私は子どもの頃、遠足で行った牧場が空港建設で移転されるなど文化的にやせ細っていく地域を見てきました。ですから、一つの文化圏を持っている大阪は居心地がいいと感じます。10月22日からは具体美術協会の大規模な展覧会を開きます。中之島を活動拠点とし、戦後日本の前衛美術をリードした美術家集団ですが、中心メンバーのうち美術大学を出たのは数人で独学も多い。それでも世界的な作家はたくさんいて、そんなあり方も大阪の一つの文化ではないでしょうか。私は今では大阪生まれの人よりも大阪に詳しい面もあります。いろんな所から人が来て、つくってきたまちが大阪ですから。
(構成/ライター・桝郷春美)
※AERA 2022年9月12日号より抜粋
>>【前編を読む】構想40年、大阪中之島美術館がオープン まちと美術が結びつく“大阪の視点”がテーマ