「爆発する芸術家」岡本太郎が烈火のごとく激怒…丹下健三と取っ組み合いのケンカをした、破天荒すぎる理由
一方のソ連館も、高さ109mのパビリオンをソ連共産党の党色である紅色に染め、内部をソユーズ4号、5号や、人類初の宇宙飛行士ガガーリンの肖像などで飾り立てた。
当時27歳で、万博をくまなく取材した国際カメラマンの山本皓一氏(78歳)が証言する。
「それまで多くの日本人にとって、外国人イコール進駐アメリカ軍でした。それが初めて77ヵ国もが参加し、パビリオンを展示したので、様々な外国人と交流でき、日本人が国際化していく原動力になったのです。
私自身、ギリシア館の女性と親しくなり、半世紀以上経ったいまでも文通しています」
あまり知られていないが、大阪万博の「仕掛け人」は、後に作家として有名になる堺屋太一氏だった。当時の肩書は、通産省(現・経産省)企業局第一課万国博覧会準備室係長である。
堺屋氏は、万博に無知だった当時の政・財・官界を説得し、故郷・大阪に誘致することに成功した。
死去する直前の2018(平成30)年7月に上梓した遺作『地上最大の行事 万国博覧会』で、こう吐露している。
〈万国博覧会がどれほど巨大な行事か。日本ではオリンピックと並び称されることがあるが、その規模の巨大さでも、歴史の長さでも、まったく比較にならない。(中略)万国博覧会は、近現代を創った真に偉大な行催事である〉
国内外から訪れた観客に、何より強く印象付けたのが、メインゲート前広場に鎮座した地上約70mの巨像「太陽の塔」だった。
「誰もが足を止め、『何だこれは? 』と見上げていました。同時に日本から世界に発信していく時代の到来を感じたものです」(山本氏)
「太陽の塔」の制作者は、開会時に59歳の「爆発する芸術家」こと岡本太郎だった。