【書評】シベリア抑留を描いた感動映画の原作:辺見じゅん著『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』
第2次世界大戦後、武装解除した日本兵ら約57万5000人がソ連軍によってシベリアに連行された。極寒と乏しい食糧の中で強制労働を命じられ、その1割が亡くなった「シベリア抑留」。これを描いた映画「ラーゲリより愛を込めて」が2022年12月から公開となり、多くの鑑賞者の涙を誘っている。この映画の原作が本書で、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞した。
この作品が単行本で発表されたのは1989年。あまりにも理不尽な悲劇だったシベリア抑留について、当時はまだ断片的にしか分かっておらず、本作によって日本人が最長11年にわたって苦しめられた抑留、ラーゲリの実態を詳しく知ることになる。あとがきに取材対象者44人の名前が出ているが、歌人にしてノンフィクション作家の著者が抑留体験者らと会い、熱心に聞き取り取材を重ねた光景が浮かんでくる。実によく調べ上げた内容なのだ。
敗戦後にシベリア・ウラル山中のラーゲリに収容され、既に2年半を過ごした主人公、山本幡男(はたお)が、帰国に向かうすし詰めの貨車から降ろされる場面で始まる。1948年9月のことである。彼は帰還が許されず、長期拘留者になっていく。
若い頃からロシア文学に傾倒した山本は、現在の東京外国語学校(現・東京外国語大学)の露西亜語科で学び、小学校教師の夫人と結婚後、家族で満州(現中国東北部)に渡った。シンクタンクだった満鉄調査部で得意のロシア語を生かし、ソ連研究にあたる北方調査室で働き、終戦の前年の44年、赤紙で36歳の初年兵となる。半年ほどハルビンの特務機関の所属になったこともあり、こうした経歴をソ連側は自国民を取り締まる国内法を勝手に適用し、形式的な裁判でスパイ罪などとして重労働25年(20年の説も)の判決を下した。
山本は戦犯とされた日本人が送り込まれるシベリア東部、ハバロフスク市の収容所に移された。同市内の戦後の主要な建築物のほとんどが、日本人の強制労働によって建てられたと言われるほど、抑留者たちは作業に駆り出された。
収容所には絶望感が広がっており、50年に朝鮮戦争が追い打ちをかけた。ソ連の作業監督は、敵意を口にした。「お前たち日本人の帰国は遠のいた。死ぬまで働かせる」と。