あいみょんが感動した岡本太郎のジャンルを超える作品と多才さとは?
広々とした公園にある〈川崎市岡本太郎美術館〉に着くなり、「実はこの間来たばっかりなんです!」と、あいみょん。気になる企画展があるたびに、ちょっと時間のあるときに……となかなかヘビーなリピーターの様子。
「普通に電車に乗って来ています。この辺りの雰囲気も好き。駅から公園の緑の中を歩いていくのが楽しいんですよね」
1999年開館のこの美術館、神奈川県川崎市の生田緑地という広大な緑地の中に建つ。川崎市は、実は太郎にとってゆかりの深い土地。母・かの子の実家があった川崎市は出生地で、子ども時代に過ごした記憶もあったそう。そんな縁から、太郎は生前の1991年から1993年にかけて、約1800点の作品を川崎市に寄贈する。これを機に太郎の作品を展示する美術館の構想が始まったのだ。
残念ながら太郎は1996年にこの世を去り、1999年の開館を見ることはなかった。とはいえ館のシンボルタワーでもあるパブリックアート《母の塔》や、展示される作品には、太郎の熱意と創意のほとばしりを大いに感じることができる。
「彫刻や絵画はもちろん、デザインした家具や太郎さんが撮った写真の展示があったり、本人が話している映像が流れていたり……と、〈美術館〉で初めて知った太郎さんの側面は多いです。生き物が好きでカラスを飼っていたとか!」
自分を規定することなく、ジャンルを軽々とまたいであらゆる形態の創造を続けた太郎。作品を通じてその足跡に近づくために、必ず訪れたい美術館だ。
ジャンルをまたいだ活動ぶりは芸術家としての太郎の大きな特徴。巨大な彫刻や、大胆そのものの壁画を生み出したかと思えば、小さな小さな日用品のデザインもするし、はっとするような写真も撮る。専門家たちがうなる論文を書く一方で、一般の読者の心を打つ言葉も記す……。それら活動の全容を垣間見ることができるのが、TAROの作品約1800点を収蔵する〈川崎市岡本太郎美術館〉だ。この美術館もまた、あいみょんが幾度も訪れる場所。「〈美術館〉へ行くと、ああ自分は曲をつくらなきゃって思う」と話す。