キュレーターが語る、アンディ・ウォーホル大回顧展。京都の旅がウォーホルにもたらしたもの。
〈京都市京セラ美術館〉で開催中の『アンディ・ウォーホル・キョウト』。「ウォーホルと京都」という言葉は特別な響きを帯びると、アンディ・ウォーホル美術館キュレーターで、展覧会の監修を務めるホセ・カルロス・ディアズは述べる。
アンディ・ウォーホルは、生前2度にわたり京都を訪れた。1度目は1956年。商業アーティストとして成功を手に入れたウォーホルは、初の海外旅行として世界一周の旅に出た。この旅で彼は13日間日本に滞在し、京都も訪れる。現代美術家ウォーホルが誕生する以前のことだ。そして2度目の来訪は1974年。世界的なアーティストとなったウォーホルは展覧会のために来日し、ビジネストリップの最中に再び京都へと足を運んだ。
ディアズが注目するのは1956年の旅だ。彼はそれを「故郷のピッツバーグとニューヨークだけ知っていたウォーホルの目が開けた体験」と位置付ける。展覧会の準備にあたり、ディアズは改めて美術館のアーカイブを見直した。そこからは、ニューヨークにあった日本料理店のレシートや、トルーマン・カポーティが日本に滞在した時にしたためたエッセイなどが見つかったという。
「ウォーホルが抱いていた日本への関心が伺えます。旅の同行者だったチャールズ・リザンビーの撮影した写真を見直すことで、ウォーホルたちがどこを訪れたのかも特定できました。旅程表とともにより仔細に見ることで、京都の旅がウォーホルにもたらした影響が、より明らかになったと思います」
三十三間堂に並ぶ1001体の黄金の千手観音立像の様から、50年代のイラストレーションにおける金箔の使用が、そして60年代のポップ・アートにおけるアイコンの繰り返しが生まれたと言われるウォーホル。映画作品《エンパイア》(1964年)にも龍安寺の影響が囁かれるが、いずれに関しても彼の直接的な言葉は残っていない。