なぜ日本人は虫好きなのか。サントリー美術館「虫めづる日本の人々」レビュー
平安時代中期の文学、紫式部『源氏物語』全54帖の中には「胡蝶(こちょう)」「蛍」「鈴虫」「蜻蛉(かげろう)」などの帖があり、当時の貴族がすでに虫に親しみをもって接していた様子がうかがえる。「鈴虫」(『源氏物語』の鈴虫は現在の松虫、松虫は現在の鈴虫を指すという)では、朱雀院の第三皇女の女三宮(おんなさんのみや)と光源氏がそれぞれ「鈴虫の声」という言葉を織り込んだ和歌を交わしており、鳴く虫の風情にそれぞれが自らの心情を託している様子が推し量られる。
こうした和歌や小説などに見られる虫への親しみがヴィジュアルの形で盛んに現れたのが、江戸時代だった。《野々宮蒔絵硯箱》は、『源氏物語』の「賢木」を題材にした蒔絵箱だ。光源氏が載っている牛車をメインモチーフにした華やかな蓋表などに、3匹の鈴虫(『源氏物語』では「松虫」と書かれている)が、離れ離れに極めて小さくあしらわれている。物語を知っている者は、虫の姿を見つけるのも楽しみのひとつだったのかもしれない。江戸初期の風雅な趣味の世界が、こうした工芸品に現れているのである。