現存する「土葬の村」に、150年前から続く「死者の祭」とは?
野辺送りは、土葬の村で死者の祭のクライマックスといっていい。
前回に続き、2016年に、高知県長岡郡大豊町で行われた土葬をリポートする。ここには、際立って珍しい野辺送りの風習が今も残っていた。
前編はこちら『高知に「土葬の村」発見! 「巨大座棺」の謎とは? 』
生前から周到に土葬の準備をしていたKさんは、病院で死亡すると、大豊町の岩原という地区にある自宅に搬送された。
自宅では、死者を出迎えた家族の手によって、あらかじめ準備された巨大な座棺に納められた。座棺とは、亡くなった人を座った格好で納める、高さのある直方体の棺桶のことである。
遺体は、あぐら座りをした格好で足を縛られていた。こうしておかないと、死後硬直のため、納棺の頃には、足をひざから折れ曲げられなくなっているからである。
「死んだ父の場合、生前から作っておいた座棺に入れることがわかっていましたから、病院で死亡直後、足を縛っておくようにお願いしていたんです」と故人の次男は言った。
納棺後、通夜、葬儀と二日間の弔いが行われた。その間に近親者のある者は、野辺送りに参列者が携える弔いの道具を手作りし、ある者は埋葬が滞りなくできるよう土葬墓地設営の準備をした。
喪家に祭壇が組まれ、自宅での葬礼を終えると、いよいよ出棺である。巨大座棺の上部に太い一本の青竹が通され、二人の男性が担ぎ手として前後から持ち上げた。
あの世への出発の合図であるかのように、ガチャンと棺の前で故人の生前使った茶碗が割られた。こうしておかないと、死人が迷ってこちらの世界に戻ってくるといわれる。
喪家を出た座棺は、軽トラックに積み込まれた。一般に野辺送りでは、棺は大勢の近親者とともに、家から墓地まで葬列を組んで担がれていくのだが、今回はそうしなかった。というのも、遺体も含めて巨大座棺の重量はゆうに百キロを超えていた。加えて自宅から墓地まで約3キロ、険しい山間部を歩かねばならない道のりだったからである。