明治に完成「門崎砲台」、ドーム状では国内最大級…発掘調査で砲座の天井などの一部見つかる #戦争の記憶
市教委によると、門崎砲台は鳴門岬にある鳴門 要塞(ようさい)(のちの由良要塞)の一部で、日露戦争前の1899年(明治32年)に完成した。敵艦の侵入はなかったため、実際に砲撃した記録は残っていない。
太平洋戦争後は一部が進駐軍に破壊され、鳴門岬には「道の駅うずしお」の前身、「国民保養センター鳴門みさき荘」などが建てられた。
今回、道の駅の建て替えに伴う発掘調査があり、カノン砲2門を据えた砲座の天井などの一部が破壊されずに残っていたことが判明した。
砲座の幅は計約26メートルで、カノン砲の射撃口(縦約1・6メートル、横約4・5メートル)から出入り口の奥までの長さは約14メートル。ドーム状の天井までの高さは約5メートルあった。
砲撃後に一酸化炭素が充満するため、天井で覆う砲台は珍しく、明治期には門崎砲台以外にないという。砲台の規模が小さくなった大正期以降は、空爆に備えて天井が設けられる例も確認されている。
門崎砲台はコンクリート製で、ひび割れが多く、崩落の危険性があるため、記録保存したうえで取り壊す。今後、AR(拡張現実)でかつての砲台の姿をスマートフォンなどの画面に出現させる仕組みなどを検討する。担当者は「砲台を覆った天井の大きさに興味を持ってもらい、地元の戦争の歴史を後世に伝えたい」としている。
市教委は8月18、19日のそれぞれ午前10時と午後2時から現地説明会を開く。問い合わせは埋蔵文化財調査事務所(0799・42・3849)。