金沢のアートシーンを牽引する最重要美術館! 拡張する「KAMU kanazawa」とは?
福岡で生まれ育ち、単身中国に渡り上海の高校に通った林田は、帰国後に金沢のデザイン系の学校で学んだ。ニューヨークのパーソンズ美術大学のカリキュラムを導入し、金沢の老舗酒蔵である福光屋の社長らが参画して運営した学校で、最後の卒業生となった。
「『これからの世の中ではデザインが必要になる』という強い考えで、1980年代の終わりにパーソンズ美術大学と交渉し、そのカリキュラムを導入した創立者たちはすごいバイタリティです。学校はすごく楽しかったですし、僕が通っているころにも創立者のひとりである福光松太郎さんはたまに学校にいらしていたので、こういう人のおかげで自分がこの学校で学べているんだ、と感じることができました」
林田は金沢でプロダクトデザインを学び、卒業後には東京で製品開発やデジタルマーケティングに携わった。大手広告代理店のチームに加わり、オブジェクトとしてのものづくりをするよりも、ものが消費者に届くまでの経路やブランディングなども含めて考える広い意味でのクリエイションに興味を持った。そして、仕事をしながらアートへの興味も広がり、カジュアルな感覚で欲しいと思ったアート作品を少しずつ入手しながら徐々にコレクションが増えていった。美術館などにも足を運び、アートを楽しんでいる中で、ふとシンプルな疑問が頭をかすめた。
「美術館はどうやって経営すれば黒字になるのだろう」
日本らしい答えがあるのではないかという思いが動機となり、リサーチを開始した。美術館オープンに必要なタスクを徹底して洗い出し、緻密な事業計画を立てることにした。ロケーションも金沢ありきで進んだわけではなく、複数の候補を考え、徹底したマーケティングの結果として金沢を選んだ。
「地元の福岡は中学までしかいなかったのであまり知らず、上海の高校に通ったのですが、生活するだけで大変で街の文化を知るまでには至らず。その後に学生時代の2年間を過ごした金沢で、初めて街に興味が湧き、よく街をウロウロしました。土地勘もそのときに身についていたこともあって、街の規模や見所も含めて最適だと考えました。金沢城や兼六園に茶屋町など、歴史にちなんだ観光名所もあって魅力的ですが、どこもピンポイントで訪れる人が多く、街を散策するような観光プログラムが成立していない。実際には、若い世代が始めたおもしろいお店や施設も街中に点在していますが、観光客にあまり気づいてもらえないわけです。金沢21世紀美術館もありますし、アートの展示スペースを街中に点在させて美術館として成立させることができれば、街の回遊が増えてより活性化した街になるのではないかと考えたのです」