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生きづらさを抱えたこの世界の片隅で、見捨てられた衣類を身につけ歩き続ける
2023-06-16
生きづらさを抱えたこの世界の片隅で、見捨てられた衣類を身につけ歩き続ける

青山七恵さんの近刊『はぐれんぼう』の書評を、「群像」2023年1月号より再編集でお届けします。


 クリーニング店に一度でも衣類を預けたことがあれば、この小説の世界に入りこめるはずだ。もし、預けたものを受け取り忘れたことがあるなら、いっそうこの作品の読者としてふさわしい。青山七恵の長編『はぐれんぼう』は、「あさりクリーニング店」にパートで勤めて7年ほどになる「わたし」と、その周囲で起こる思いがけない出会いを描く。

 この店で20年あまり働いている馬宵さんは何かと心配や不安を口にする。そばで聞いている「わたし」に向かって「あんたにはほんとの心配事なんてないでしょう」と皮肉めいたことを述べる。客から受け取るものは「汚れもの」。これについても「昔はなんでも自分で洗ったもんだよ。汚れものをよそのひとの目にさらすなんて、恥ずかしいことだった」などと批評する。そして、「汚れ」を金銭で解決しようとすることは「責任逃れ」であるという持論を聞かせるのだ。

 お喋りな馬宵さんはさらに「わたし」のことを「誰も乗せてない回送電車みたいなひと」と形容する。愚痴を通り越して随分な言い方だが、こうした馬宵さんの描写が浮かび上がらせるのは、じつは「わたし」の性格だ。つまり「わたし」は人の話を聞ける人という位置付けで、この点も作品の動力となっている。

 店頭で客から受け取ったものを入れる「預かり袋」を、馬宵さんは「穴」と呼ぶ。「穴」という言葉は、この小説の要の一つだ。最初は、単なる用具を指す言葉として出てくるように見えるが、小説が進むにつれて、人々の心に空いた穴であり、落とし穴のようなものでもあり、虚しさや心細さ、目を逸らしたい欠点や過ちなどにも通じる視点だということが見えてくる。こうしたイメージを緩やかに繫ぐ手法に、作者のセンスが見える。

 貝沼さんは、毎週土曜の決まった時間に「青系統とピンク系統のワイシャツ5枚の2セットを」預けに来る客。「わたし」は「穴」の上に「そっと顔を伏せ、てっぺんに載せた貝沼さんのワイシャツの匂いをさりげなくかいでみる」。これは「わたし」の動作の描写だが、「穴」の介在によって、対象の日常をめぐる不可視の部分が指し示されるかたちとなっている。日常は、底知れない「穴」に取り囲まれているのだ。

 「穴」は寂しい。そして恐い。だが、最終的に、登場人物たちはそれぞれのやり方で「穴」と対峙する。それがこの作者の小説観でもあるだろう。というより、現代広く求められているように見える小説観、ということになるかもしれない。

 預けられたまま、持ち主が受け取りに来ないものを、馬宵さんは「はぐれんぼちゃん」と呼ぶ。一月以上経っても引き取られないものは、まとめて倉庫に送られる。忘れているだけか、わざと取りに来ないのか。そういう衣類に映る持ち主たちの欠落感はこの小説の動機と映る。店で邪魔にされる「はぐれんぼちゃん」たち。ある日、「わたし」はそれらが入った段ボールを自分の住まいに持ち帰ることになる。見捨てられたような存在を放置できない心情と葛藤が描かれる。このあたりの経緯は丁寧に書かれていて、作者らしい観察と優しさが表れている箇所でもある。

ソース元URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/017d61c38d60988bc354037d5edd3ff84bcd11fd

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