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伊藤亜紗 耳だけで楽しめる美術の本の可能性【著者に聞く】
2023-04-25
伊藤亜紗 耳だけで楽しめる美術の本の可能性【著者に聞く】

――体にかかわる本を多く刊行されていますが、今回、西洋美術をテーマに書かれたきっかけは何ですか。


 もともとの専門は美学で、それは言葉にしにくいものを言葉で分析するとよく言われる、哲学的な学問分野です。美学の中には、芸術や身体感覚、感性の問題も含まれますから、新しいことに手を出したわけではなくて、別の領域を本にしたという感覚です。

 もう一つのモチベーションは、盲学校にはいまだに専用の美術の教科書がない、ということです。実は、私のHPで、本書の音声版を公開しています。音声版には、本文の朗読に加えて、すべての図版の詳細なディスクリプションを付けています。目が見えない人が美術に関心を持ったときにアクセスできる、美術の教科書の代わりになるものを作りたかったんです。作品の模型を作り、さわって美術を楽しむ方法もありますが、本という形でできること、しかも耳だけで楽しめる美術の本の可能性を探ってみたかったのです。


――ルネサンスとバロック、二つの様式の対比がわかりやすく、本書の主眼だと感じました。


 美術を通して感性の歴史を書きたいと思っていました。時代によって当時の人たちが良いなと思うものが変わっていく。それが形になったものが絵画や彫刻などの美術作品だと考えています。個々の作品よりも、その時代の価値観に力点を置きたかったんです。作家の比較ではなく、時代の感性の比較ですね。その中で、静的なルネサンスと動的なバロックは違いが明確でした。戦前のスイスのヴェルフリンという美術史家は、根源的な感性の二つのタイプを、時代を超えた人間の本質のように捉えて、それらが美術史に反復して出てくると考えています。

 本書ではワークショップを行いました。ルネサンスっぽいものとして階段を降りる人やユーミンの歌い方、バロックっぽいものとしてエスカレーターを降りる人や桑田佳祐の歌い方、というように、身の回りの「ぽさ」さがしをしています。時代の名前を様式としてではなく、感じ方の一つのカテゴリやタイプとして、展開して使いこなしたかったんです。これは目の見えない人とも共有できますよね。


――美術作品に対して言葉を使って「考えつつ、感じる」という本書の方向性に、社会性やコミュニケーション能力と引き換えに描画能力を失った、ナディアの例を想起しました。


 言語を習得すると絵が一見稚拙になるのは、例えば「電車はこういうふうに描くものだ」という社会性、文化的なコードを身に付けるからだと思います。下手になるというより、違う描き方を獲得するのではないでしょうか。

 描画能力には、見たままを描けることと、構造を理解したうえで図解するように描けることがあると思います。例えば、視覚障がい児は耳に入る情報から色々なことを想像しています。私が盲学校の見学へ行ったときに、授業で棚田の話になり、棚田を知っているという生徒が粘土で実際に作りました。できたものは、目が見える人からすると、棚田に見えない。全体は階段状で、そこに角や口みたいなものが付いていて、宇宙人のように見えます。話を聞くと、農作業をするのであれば、農耕具をしまう小屋が近くにあるはずで、これが角に該当する。口に見えたものは、用水路でした。つまり、耳に入る情報から構造を推測して作った棚田なんです。目が見える我々にとって、棚田は美しく、映える風景です。そう捉えるときには機能を考えていなくて、景色として見ている。基準が違うので、どちらが優位とは言えません。


――いま関心があるテーマは。


 西洋美術からは離れますが、一つは会議の研究です。会議はつまらないものと思われがちですが、観察するととても面白いんです。データを示せば決まるかといえばそう単純でもないし、合意形成にあたっては必ず非論理的な要素が入ってくる。その過程でどんなことが起きているかに興味があります。体の研究と同じで、論理的に語れないことが生じていると考えています。


(『中央公論』2023年5月号より)



◆伊藤亜紗〔いとうあさ〕
1979年東京都生まれ。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。同大学リベラルアーツ研究教育院教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専門は美学、現代アート。『記憶する体』(本書を中心とする業績でサントリー学芸賞)、『手の倫理』『体はゆく』など著書多数。

ソース元URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/b42fe93696dc57bce2ec626f8d2afbc29b6f0a89

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