『作りたい女と食べたい女』が解く呪い。「女と料理」、レズビアン・アイデンティティー

なぜ『作りたい女と食べたい女』は、これほどまでに話題となったのか? アナーカ・フェミニスト、ライターの高島鈴が考察する。
女子校にいたころ、小さな弁当箱で昼食をとる同級生に向かって、別の同級生が「女みてえな量食ってんじゃねえよ!」と笑いながら声をかけていたことがあった。そのときは私も何も考えずに、すごいことを言うな、と笑っていた気がするけれど、あれは明らかに内面化されたミソジニーだった。
単純に少食だったのか、それともダイエットを意識していたのかわからない、あのほんのちょっぴりのお弁当。それを「女みたいな量」と言って笑うのは、「女性の食事量は少ない」という偏見、そして「女ぶるな」、という女子校――「女子」しかいないという建前によって「女子」を相対化する空間――のなかで複雑にねじくれて育った、女性嫌悪のあらわれであったように思えてならないのである。
「女と料理」。「女子力」「家庭的」「いい奥さん / 母親になれる」、こういうわかりやすい文句を並べるまでもなく、そこには男性中心主義・シスヘテロ中心主義のなかで強制的に結びつけられてきた歴史が沈澱している。
では、女性と料理にもっと自由な関係はありえないのか? そんなことはない――ゆざきさかおみのGL漫画『作りたい女と食べたい女』(以下『つくたべ』)は、そう言いたがっているように見える。『つくたべ』は、女性と料理のあいだにぶらさがるグロテスクな文脈を描いたうえで丁寧に否定し、その関係性の再構築を試みているからである。
『作りたい女と食べたい女』の主人公は、そのタイトルどおり、食事を作ることに至上の喜びを見出す女性・野本さんと、食べることを何よりの楽しみとする女性・春日さんだ。