アメリカの田舎町の日常から抜け出すために、僕は夜空を見上げた。そして今、日本の星空の下で憧れが……
第2回京都文学賞を受賞した『鴨川ランナー』で小説家デビューし、近刊『開墾地』が芥川賞候補作となるなど、いま最も注目されている作家・グレゴリー・ケズナジャットさんの「群像Web」オリジナル連載エッセイがスタート。日々、生活する中で出会うものから広がっていく、豊かで温かな文章をお楽しみください。
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急に天の川を見たくなった。
8月の、コロナの病み上がりの時だった。2年以上あれこれと対策を練ってどうにか感染を免れてきたけれど、とうとう僕も陽性者になった。喉の違和感、頭痛、咳に高熱。これまで家族や友人の話で聞いていた症状が我が身にも降りかかった。3日間が過ぎると高熱が微熱に変わり、ありがたいことに軽症に留まったが、隔離期間がまだ定まっていた時期だから1週間、自宅で療養することを余儀なくされた。
外出できないとはいえ、やることはいくらでもあった。秋学期の講義が控えていたし、書きかけの小説の執筆も待っていた。しかし「コロナ」という一言で珍しく仕事の連絡がぱったりと来なくなって、しばらくの間あらゆる責任から解放されたので、この貴重な機会を活かさねばと思い、普段はする時間のないことをしようと心を決めた。
そこでたどり着いたのは、書棚に積まれた数多くの天文学や物理学の関連本だった。スティーヴン・ホーキングやカール・セーガン、ミチオ・カクやニール・ドグラース・タイソンなどによる一般向けの解説書を時々買っている。門外漢ながら昔から宇宙のことに興味があるが、普段はいわゆる「文系」の読書に専念しているので、なかなか手に取る暇がない。今度こそ、数年前に買った『ホーキング、宇宙を語る』を開き、ベッドの上に夢うつつで横たわりながら、ビッグバンやブラックホールの世界に身を浸した。
微積分なんかとっくに忘れ、日々の計算すらほぼスマホで済ませている者として、ホーキング博士の数学についていけないところが多かったが、それでも彼が描く壮大な宇宙観は想像を搔き立てた。ミステリー小説を読む勢いでページを捲り、気がついたら時計が午前1時を回っていた。
よく考えると最近は空を見上げることが殆んどなかった気がする。立ち上がって頭のくらくらが収まるのを待ち、ゆっくりとした足取りでマンションのベランダに出た。静まり返った夜の空気は湿気が多く、少し離れたビルの点々とした明かりが微かに揺れている。しかし見上げてみると夜空には月も星もなく、ただ反映された街明かりでぼんやりと光っているだけだ。
東京に来るまではこんなに明るい夜空は見たことがなかった。数年京都市に居を構えていたが、その時東京から遊びに来た友人が何気なく放った一言が記憶に残っている。賀茂大橋を渡る最中に友人は頭を上に向け、やっぱ京都の夜空は暗いなあ、と独り言のように呟いた。そう言われて僕も視線を上げ、友人が捉えていた暗さを探し求めたが、京都が初めての都会暮らしだった僕にとっては、相変わらず明るすぎるくらいだった。
しかし東京に住んでみると、なるほどこの空に慣れている人にとっては地方都市の空なんて真っ暗だろうと納得した。ここの夜空は真夜中でも明るい。天体より高層ビルやタワー、絶えず羽田に向かって降下してくる旅客機がよっぽど気になる。たとえ街やそこに住む大勢の人たちから少し離れてみても、夜空を見上げる瞬間にその存在を意識せずにいられない。よくいえばいつでも寂しくない。悪くいえば、窮屈だ。
ベランダに立ったままスマホを取り出して、東京の近くで星空が見える場所を検索してみた。旅行会社のホームページや無数のアフィリエイトブログが即座に表示される。案外、多くの選択肢がある。23区内はさすがに難しいようだが、近くには星空を売りにしている町すらある。距離やアクセスを勘案して候補を絞り、最終的には伊豆半島へ行くことにした。隔離期間が終わった頃の日付で、その辺りの宿の空室状況を調べ始めた。