海外では芸術 「染形紙」1242点、文化財に 93歳が40年収集
◇江戸時代に隆盛
染形紙は、柿渋を塗った和紙をさまざまな文様に切り抜いたもの。藍染めの際に生地に置き、模様部分にのりを置いて白く染め抜く。繊細かつ多彩な柄を安価に染色できることから広く普及した。
金物と並ぶ三木の特産だった。江戸時代前期の検地記録には土地を持つ染形紙商7軒が載っている。江戸中期の文書によると、総世帯783軒のうち、鍛冶屋12軒に対して染形紙商が16軒、染色工が26軒と隆盛を誇った。商圏も広く、近畿のみならず、日本海側や瀬戸内海沿岸、四国にも広がっていた。維新後、洋服の普及とともに下火になり、大正期にはほとんどが廃業。染形紙も散逸した。
染形紙は柿渋を塗っているため再利用できず、多くが焼却された。筒井さんは子供のころ、あちこちに捨てられていたのを覚えており、紙飛行機にして飛ばしたこともあったという。
後年、郷土史を勉強して、三木の基幹産業だったことや、海外でアートとして高く評価されていることを知り、収集に乗り出した。オランダ東インド会社のドイツ人医師シーボルトも、三木のものを含む染形紙を欧州に持ち帰ったという。
◇コレクション、ウェブで公開
筒井さんは染形紙を展示する「ギャラリー湯の山みち」(三木市大塚2)を開設して館長を務めている。以前、米ニューヨークの博物館に持参すると「ミキの染形紙が来た」と大変に喜ばれ、後世に残す決意を新たにしたという。
インターネット上に「播州三木染形紙WEB美術館」(https://www.miki-somekatagami.com/)を開設。40年にわたって収集した貴重なコレクションを公開している。【大川泰弘】