初の時代小説に挑んだ伊集院静氏が語る「武士道」と「騎士道」
大石内蔵助良雄(くらのすけよしたか)の生涯を描いた『いとまの雪 新説忠臣蔵 ひとりの家老の生涯』がこのほど文庫化された。若い人に読んでもらいたいという伊集院氏の要望でタイトルも新たに『48 KNIGHTS(フォーティエイト・ナイツ)』(光文社文庫)と改題されている。忠臣蔵の「武士道」と西欧の「騎士道」には共通するものがあるという。著者に話を聞いた。
『いとまの雪』は、日経新聞に好評連載された後、3年前に単行本として刊行された、著者による初の時代小説である。そこから文庫化にあたって、大胆にタイトルが変更された。どのような意図があったのか。
「われわれの世代では、毎年暮れになると『忠臣蔵』があった。いまでも歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』は人気があるし、日本人なら誰もがこの仇討ちの物語を知っていると思っていたのですが、3年前に『いとまの雪』を出したときに、若い人の大半が知らないことがわかった。『何それ?』と聞かれることもあるので、これは日本人としてまずいのではないかと考えた。」
「その一方で、イギリス人やフランス人、アメリカ人でも特に東海岸で暮らす人たちから、『忠臣蔵』を絶賛する声を聞きました。これは東洋一の騎士道精神で、王に対する家臣の忠誠心を端的に表しているのではないか。王のために死ぬという騎士道精神と武士道とは共通している。イギリスだったらアーサー王と円卓の騎士がある。騎士たちは円卓に並んで、王の前で剣を差し出す。それは何を意味しているかというと、あの刃は自分たちに向けられたもので、王のために自分たちは死ぬ覚悟があるという、その誓いの儀式であるわけです。だから、彼らは、サムライの死生観はもっと称賛されてしかるべきではないかというのです。」
「それならば、若い人にもっと『忠臣蔵』を読んでもらうためにはどうすればよいか。私はこれまで100冊以上の文庫を出してきましたが、同じタイトルで出すのではなく、もう少し工夫できないものかと思っていました。『いとまの雪』というタイトルは、作中にある軍学者・山鹿素行(やまがそこう)が大石内蔵助良雄に宛てた手紙の中にある一節「生きるは束の間、死ぬはしばしのいとまなり」からとったものでした。これは私の創作した文章であるわけですが、この言葉がこの小説の根にあるものです。しかし、もう『いとまの雪』とか『忠臣蔵』というタイトルでは、作品のひろがりが望めないし、若い人の反応も少ないのではないか。いまの若い人たちは、横文字を受け入れ易いところがあるのではないだろうか。それならば、文庫化にあたっては騎士(KNIGHT)と合わせてみたらどうだろうかと考えたわけです。」
「もうひとつ、タイトルについて言えば、吉良邸の討ち入りは内蔵助をはじめ47人の志士によって決行された。だから赤穂47士とかいうわけですが、私の新説忠臣蔵では、討ち入りには参加しなかったけれど、陰になって彼らを支えた忠臣として、もう一人の重要人物を描いています。これを加えて48人、だから『48 KNIGHTS』としたわけです。」
これまで伊集院氏は現代物の恋愛小説や、近年では正岡子規、夏目漱石の評伝的小説で好評を博し、また週刊誌連載の人気エッセイ『大人の流儀』シリーズが息の長いベストセラーになっている。初めて時代小説を手掛けたきっかけは何だったのか。
「ひとつには、当時、古希を迎えるので新しいことをやろうと考えた。それで、今までは私自身が読者として楽しんできた時代小説を初めて書いてみようと思った。私が好んで読む時代小説とは、例えば山本周五郎の『樅ノ木は残った』や藤沢周平の『蝉しぐれ』など、全部、反骨の物語なんですね。優れた時代小説には共通して『反骨精神』がある。だから、じっと耐え抜く、気骨ある男の生き方を描きたいと思ったのです。耐えて、最後の最後に反逆していく。そういう意味では『忠臣蔵』は一番いい題材で、挑んでみる甲斐(かい)はあるのではないかと思いました。」