「ゴシック」とは何か? 知っているようで知らないその意味と歴史、”リバイバル”で激変
ロンドンのウェストミンスター寺院やパリのノートルダム大聖堂など、中世ヨーロッパの大聖堂の要素を採り入れた「ゴシックリバイバル建築」は、ビクトリア朝イングランドの帝国としての力の象徴だった。
壮大なスケールのゴシックリバイバル建築はロンドンの至るところに見られる。たとえばハイドパークには、ビクトリア女王が愛する夫の死を悼んでつくらせた1872年建造のアルバート記念碑がある。また、セントパンクラス駅併設のセントパンクラス・ルネッサンス・ホテル・ロンドン(旧ミッドランド・グランドホテル)では、1873年建造の堂々たるファサードに、何層にも重ねられた華麗なアーチを見ることができる。
英国でゴシックリバイバルを中心になって推し進めたオーガスタス・ピュージンは、これはギリシャやローマの整然としたシンメトリー(対称性)に傾倒する異教徒的な要素を排除した、正統なキリスト教建築であると主張した。また美術評論家として大きな影響力を持っていたジョン・ラスキンは、1851年、ゴート人のようなヨーロッパ北部の感性や、雄壮で活動的な民族の特徴を表現していると称えた。すなわち、ゴシックリバイバル様式は、不安定な近代社会において、秩序、伝統、連続性を象徴するものとされた。
対して19世紀の建築家ジョン・カーターは、ゴシックという言葉は「野蛮な呼称」だと考え、単に「イングランド様式」と呼ぶべきだと訴えた。革命期フランスとの長い戦争のさなか、カーターは、ゴシックは数世紀におよぶ伝統に根ざした「われわれの国家的建築」であると宣言した。1834年の火災によって消失したウェストミンスター宮殿は、必然的にゴシック様式で再建された。
ただし、ビクトリア朝のゴシックリバイバル様式の全盛期においても、ゴシック様式が東方からやってきたものであることは多くの人が知っていた。