高橋和希 没後1年―マンガ『遊☆戯☆王』の作者が残した「友情の物語」と世界的カードゲームブーム
1996年に連載が始まったマンガ『遊☆戯☆王』はカードゲームを主体とした物語で人気を呼び、キャラクターグッズの「遊戯王OCG」は爆発的人気となって世界中のカードゲームファンをとりこにした。この希代の超メガヒットコンテンツに、不慮の事故で亡くなった作者・高橋和希(かずき)氏が託したメッセージとは。
2022年7月、沖縄県名護市安和の沖合で男性の遺体が発見された。その遺体がマンガ『遊☆戯☆王』作者、高橋和希氏であることが分かり、世界は驚きと悲しみに包まれる。
3カ月後、その死は、シュノーケリングのために沖縄を訪れていた高橋氏が、海に流された人を助けようとして起こったものであることが公表された(海上保安庁は遭難の経緯を把握していたが、救助された人の心のケアを優先し、高橋氏の遺族と相談の上、当初、公表を控えていたという)。
高橋氏の代表作『遊☆戯☆王』は1996年に「少年ジャンプ」誌にて連載が開始された。ゲーム好きで気弱な少年、武藤遊戯が主人公。彼は古代エジプトに起源を持つ「千年パズル」を解いたことで「もうひとりの遊戯」の人格を体内に宿すようになる。もともと『遊☆戯☆王』は、この二つの人格を持った遊戯が「悪人を相手にさまざまなゲームで戦いを挑む」という展開であったことは、よく知られている。
しかし初期の「学園編」と呼ばれるパートに登場したカードゲームが人気を博し、やがてそのゲーム「マジック&ウィザース」を使ったバトルが物語のメインとなっていった。一時は「打ち切り」の話も出始めていた『遊☆戯☆王』は、この展開によって一気に「少年ジャンプ」の看板作品となり、国内だけではなく、世界的な大ヒット作品へと育っていく。
高橋氏は61年生まれ。子どもの頃は『ウルトラマン』など特撮作品が大好きで、将来の夢は「怪獣デザイナー」だった。当時は怪獣が着ぐるみであることを意識して、呼吸用の穴や、人が入って動かせるような構造まで考えて怪獣の絵を描いていたという。後の『遊☆戯☆王』に登場するモンスターの演出は、この頃の経験が原点にあった(「ジャンプ流 まるごと高橋和希」収録インタビュー)。
マンガ家になりたいと考え始めたのは中学生の頃。しかし実際に1本のマンガを完成させたのは専門学校に進んでからで、そこで高橋氏は自分の作品を出版社に持ち込むようになり、10代で見事にデビューを果たした。しかし最初の雑誌では連載を獲得することはできず、以後、10年間、苦闘を続けることになる。
91年に「少年ジャンプ」で『天然色男児BRAY』の連載を始めるが続かず。高橋氏はゲームデザインのアルバイトをしながら、マンガを描いてはボツになるという時期を過ごした。当時は神保町(出版社の所在地)の交差点を、何度も肩を落として帰ることになったという。しかしやがて1年をかけて構想を練った『遊☆戯☆王』が大成功し、「少年ジャンプ」だけではなく、時代を代表する作家となった。