【インタビュー】諏訪敦による、「視ること、そして現すこと」への問いと答え。
諏訪敦にとって、国内の公立美術館では11年ぶりとなる個展『眼窩裏の火事』は、「第一章 棄民」、「第二章 静物画について」、「第三章 わたしたちはふたたびであう」と題した三部構成からなる。展覧会のはじまりは、満州に病没した祖母と家族を描く《棄民》が主題。展示室に足を踏み入れると、正面へ、左へ、右からさらに奥へと視線が惹きつけられ往還する。
「《棄民》プロジェクトは、1999年に亡くなった父が遺した手記からはじまった、家族の記憶とも呼ぶべきものです。終戦後の満州で国から捨てられ、難民となったことへの疑問を抱えたまま死んでいった父の手記を読み、幼い日の彼が見た風景を、どうしたら自分の目で見ることができるのかを考えました。彼が何を疑い、責任を問うていたのかを探りたくなったし、知ってしまったからには無なかったことにはできなくなってしまったんです」(諏訪)
記録も資料も、当時を知る人たちも失われていくなか、2度にわたって満州を訪ね、家族の足取りも追いながら描いた《棄民》《HARBIN 1945 WINTER》《依代》などの作品群に、父を描いた《father》シリーズ、幼い息子をモデルにした《こども》などが連なる。さらに、一枚の絵のなかに横たわったまま、次第に痩せ、病に冒されていく祖母の姿を描き重ねた《HARBIN 1945 WINTER》は、絵画に加え、肉眼ではすでに見えない8つの段階をスクリーンに写し出し、奥深く続く時間の層の重なりを可視化させる。