100万人の祝祭「マルディグラ」について知っておきたい10のこと
マルディグラという祝祭のルーツは、数千年前のローマで行われていた豊穣と春の訪れを祝うお祭りに遡る。キリスト教が古代ローマに広まったとき、これらの祭りが四旬節の始まりを示すものに変化していった。
マルディグラは世界各地で行われているが、このお祭りの実質上の代名詞となっている場所といえばニューオーリンズだ。
ニューオーリンズでは18世紀からマルディグラを祝っており、当初はダンスパーティーなどのフォーマルな行事が中心だった。南北戦争後、街の経済が低迷したことから、1872年にマルディグラの主催者たちが、全国の鉄道駅に観光客を呼び込むためのビラを貼り出した。こうした活動が功を奏し、ニューオーリンズのマルディグラには今でも毎年100万人以上の人々が訪れる。
中世の人々にとって、マルディグラは四旬節に備えて自らの罪を認めるための日であった。当時使われていた「shrive(懺悔する)」という言葉の過去形「shrove」から、この日は「Shrove Tuesday(懺悔の火曜日)」と呼ばれるようになった。
マルディグラが「脂の火曜日」と呼ばれる理由はごく単純なもので、フランス語では「マルディ」が「火曜日」、「グラ」が「脂肪分の多い」という意味であるためだ。
「脂の火曜日」という名称は、このお祭りの宗教的な起源にかかわりがある。マルディグラは、四旬節の初日で悔い改めの日である「灰の水曜日」の前日にあたる。つまり多くの人にとってこの日は、断食をしたり食肉を控えたりする期間に入る前に、肉や脂肪分の多いものを好きなだけ食べられる最後のチャンスなのだ。