忽然と現れたインド仏教美術の宝庫、世界遺産アジャンター石窟群
インドの主要な王朝の多くは、地球史上最大級の火山噴火によって広く玄武岩に覆われたデカン高原で誕生した。岩肌に彫られた彫刻や碑文は、初期インド社会に関する最も優れた記録の一つだ。古代の町アジャンター近郊には、暗色の玄武岩をくり抜いた石窟が30ほど点在している。絵画、柱、彫像で飾られた思いのほか壮麗な外観は、ヨルダンのペトラ神殿やイタリア、ポンペイのフレスコ画を想起させる。
アジャンター石窟群の壮大さは、当時の王の力を物語っている。紀元前2世紀から1世紀のものもあるが、多くは紀元5世紀半ばにインド中央部を広く支配したヴァーカータカ朝のハリシェーナ王の時代に造られ、一時期は数百人の僧侶が洞窟で生活していたという。
アジャンターが宗教と芸術の中心地として繁栄した時期は、477年に亡くなったハリシェーナ王の治世と重なるようだ。7世紀になると、僧院は使われなくなり、石窟は放棄され、アジャンターの美しい絵画は忘れ去られていった。そして仏教は、その発祥の地であるインドから次第に姿を消していくことになる。13世紀末、石窟群はイスラム軍の侵攻によって破壊され、廃墟と化した。
大半の石窟には、礼拝用のチャイティヤ窟(祠堂)と、修行僧が生活するヴィハーラ窟(僧坊)がある。柱に囲まれた中央の部屋は、仏像の置かれた祠へと続き、その外側の廊下には、石造りの寝台以外には何もない僧房への入口が並ぶ。
全体的に厳粛で敬虔な雰囲気だが、壁だけは別世界のような彩られ方だ。中でも悟りを開く場として設計されている最も精巧な石窟の壁は、霊性を呼び覚ますかのような絵画でほぼ覆われていた。
壁画の大部分は時を経て断片的にしか残っていない。それでも、かつてここに満ちていた官能的かつ神秘的な空気を呼び覚ますには十分だ。寺院の壁には、既知のすべての創造物が描かれているように見える。ブッダや菩薩、その他の仏たち。王侯貴族、商人、乞食、音楽家、召使い、恋人、兵士、聖職者。ゾウ、サル、スイギュウ、ガン、ウマ、そしてアリまでもが人間たちに加わっている。木々に花が咲き、蓮が開き、蔓が巻きつき伸びていく。
最も魅力的な壁画の一つが、蓮を手にした無限の慈悲を象徴する「蓮華手菩薩(パドマパーニ)」像だ。祠の入り口付近に守護者として立つその姿は、訪れる人々に平和のビジョンをもたらしている。
石窟にやってくる現代人を迎える菩薩像は、最盛期にアジャンターを訪れた巡礼者、僧侶、商人たちも歓迎していたに違いない。壁にはブッダの過去世(前世)を物語る「ジャータカ(本生話)」を緻密な構成で表現した絵画が描かれている。ブッダとなった1000年前のインドの王子、ゴータマ・シッダールタの生涯を描いた絵画もある。
こうした絵画は5世紀に描かれた「イラスト入りの古典」とも言える。見ることによって信仰心を呼び起こし、悟りに近づくことを目的としたものだ。現代人にとっては難解な物語であっても、暗闇の中に浮かび上がる絵画の優美さと感動は、昔も今も変わらない。