バンクシーが戦禍の街に描く壁画が「切手」になる意味とその背景
だが、それらのなかでもこれほど風刺的で、本当に勇気をくれるような「イベント」となったものは、他になかったのではないだろうか──。それは、ウクライナ郵便が正体不明のストリートアーティスト、バンクシーの壁画の写真を図柄にした切手を発行したことだ。
柔道着を着た小さな男の子が年上の大柄な男性を投げ飛ばすところを描いたこの作品は、バンクシーが昨年、ウクライナでの「レジデンシ―(滞在)」の間に完成させた壁画の1つ。
ロシア軍の爆撃によって破壊されたボロジャンカの街の一画に描き出されている。ロシアの現職大統領が柔道家で黒帯を持つ人であることは、広く知られたことだ。
■強まる政治的ニュアンス
切手の図柄には、バンクシーの著作権マークが入っている。これが示すのは、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領とその率いる政権とバンクシーの協力関係が、この切手の発行にとどまるものではないだろうということだ。
ゼレンスキー大統領がもともとコメディアンであり、脚本家、人気TV番組の制作指揮者であり、政治風刺について知らないわけではない人だということを、忘れてはならない。
また、もう1つこの切手の発行に欠かせない要素だったのは、実際には英ブリストル生まれのロビン・カニンガムだとされている切れ者のバンクシーが、これまで一貫して、容赦ない皮肉でいっぱいのグラフィティ(落書き)を描いてきた人だということだ。
バンクシー(またはカニンガム)はここ数年の間にますます、これまで各国で隠れて描いてきた壁画に、いわばあからさまに「皮肉を込めない、政治的なパフォーマンス」を加えるようになっている。
--{ウクライナの壁画の「違い」 }--
国際的に活躍する人気DJのように、バンクシーは世界中のホットスポットを転々とし、各地の人々を支援してきた。その初期の作品の1つが、2005年に「滞在」していたパレスチナで、イスラエルとの間に設置された分離壁「中東のベルリンの壁」ともいえる壁に描いた作品だ。
■壁画に込められた思い
バンクシーは昨年後半のウクライナでのレジデンシ―の間に、キーウのほかホストメリ、イルピンなどいくつかの都市で、戦争に関連のある壁画を制作した。
そして、戦闘が続くウクライナに滞在していることを自ら認めるように、ボロジャンカに残した柔道着の少年と投げ飛ばされる男性の壁画を撮影し、SNSに投稿した。
暗い戦時下のウクライナの都市に広がる地獄のような光景は、アーティストとしての彼に、その容赦ない風刺のセンスを発揮する数多くの機会を与えている。
怒り、皮肉、寒々しさを順番に、そして一貫して政治色を作品に表してきたバンクシーは、まだこの紛争地域でのレジデンシ―を完全に終えたわけではないだろう。おそらくまた、ウクライナのどこかに「姿を現す」と考えられる。
バンクシーがこれまでにウクライナで制作した作品には、彼とその作品を追い、学んできた人たちにとって、驚くべき点がある。一連の壁画は、(彼の作品にしては)驚くほど「暗くない」のだ。ユーモアが感じられる──おそらく作品を見るウクライナの人々を、支援したい気持ちの表れなのだろう。
戦禍に見舞われる都市に描かれたこれらの壁画からは、暗く、同時に気骨を感じさせるバンクシーの作風のなかに、注意深く表された小さな、非常に繊細な「希望の触手」を見て取ることができる。