「ねこ」のような現代美術とは? 豊田市美術館の「ねこの細道」に見る様々な逸脱
「ねこの細道」。一見すると本展もねこを主題とした作品が並んでいそうな展覧会のように思えるが、そうではない。豊田市美術館
で始まった本展は、同館学芸員・能勢陽子が企画したもの。ねこを「人間とは異なる空間感覚や倫理観を持ち、言葉の秩序から逃れる逸脱可能な存在」としてとらえ、自由、野生、ユーモア、ナンセンスがあふれる「ねこのような」現代美術を主役に据える。“ねこ的なるもの”を媒介に、泉太郎、大田黒衣美、落合多武、岸本清子、佐々木健、五月女哲平、中山英之+砂山太一という7組の視点を通し、人間中心の視点をずらすことを試みるものとなっている。
能瀬は本展の開催動機について、「違う回路を開いてみたかった。ねこを介することで、自分たちの足元をあらためて眺めることができるのではないか」と語る。「あえて思い切った」という“緩い”タイトルだが、その中身は強靭だ。
会場入り口には、キーボードの上に寝転ぶねこの姿。落合多武による《CAT
Carving(猫彫刻)》が奏でる音が、この展覧会の導入となり、鑑賞者を「ねこの細道」へと誘う。鑑賞者はエフェクターを操作することで作品に介入することも可能だ。
雑巾やテーブルクロス、ブルーシートなど、普段ならば目に留められることがないものたちを、親密な眼差しで描いてきた佐々木健。2021年、祖父母がかつて住んだ家を自らの手によって開いた「
五味家(The Kamakura Project)
」で大きな注目を集めた作家だ。本展のメインビジュアルにも採用されている《ねこ》は、かつて佐々木が拾いながらも自分では飼うことができなかった子猫を、肖像画のような構図で描いたもの。佐々木のこうした絵画は、近代日本の油絵が構築しようとしてきた「大きな主題」を解体し、日常のささやかなものへと私たちの眼差しを向け直す。
また佐々木は今回、展覧会のお決まりである「謝辞」や美術館の「授乳室」にも介入を試みた。美術館という男性中心主義的な装置において、抜け落ちてきた部分へと目を向けようとするその作家の営みを、ぜひ会場で目撃してほしい。
建築家とアーティストのユニットとして参加した中山英之+砂山太一がもたらすのは、スケールによる変容だ。建築基準法の関係で実際は建てることができない巨石を支柱にした建築模型《「きのいし」の建築模型》。内部にちょこんと置かれたミニチュアの椅子によってそのスケールが想像できるものの、それを一度外してしまえば見え方はガラリと変わるだろう。様々なスケールに基づいて仕事をする建築家ならではの、スケールから逸脱しようとする試みにだ。
東京オペラシティ
アートギャラリーにおける個展も話題の泉太郎は、動物の異質性を作品に取り込み、人間の知覚とは異なる不条理なユーモアを生み出す。とくに注目したいのが、インスタレーション《クイーン・メイブのシステムキッチン(チャックモールにオムファロスを捧げる)》だろう。1つの展示室を丸ごと使用したこの作品の中央に鎮座するのは、清掃具入れ展示室内に移設した「神殿」のようなもの。天井にはチェシャ猫の笑みを連想させるような「穴」が開き、今年1月まで同館で開催されていた「ゲルハルト・リヒター展」の痕跡をも作品へと取り込んだ。通常、裏側に潜む美術館の機能が泉の手によって鑑賞者の面前に現れる、あべこべの世界が広がる。
優雅な無気力さと無関心な休息ぶりで見る人を和ませるねこ。大田黒衣美の《sun
bath》は象徴的な写真作品だ。リラックスするときに噛むガムを素材にし、かたどられた公園で憩う人々の姿。それらはアトリエに立ち寄った猫のうえに置かれ、新たな風景をとなる。なお、大田黒はこのガムによる人々を美術館の通路でも展示。明るい空間をよりのどかなものへと変えている。
絵画を社会変革の場としてとらえていた岸本清子は本展唯一の物故作家。岸本にとって、ねこは愛と自由の象徴だったという。人間の管理欲望を攪乱する象徴としてよくねこを描いた岸本。本展では、躍動感ある未来のねこたちが旧大然とした過去のねこと戦う《I
am 空飛ぶ赤猫だあ!》をはじめ、1983年の政見放送でのパフォーマンス映像などを見ることができる。
展示室いっぱいに広がった巨大な舞台のようなもの。その名も《大きいテーブル(丘)》は展示冒頭の《CAT
Carving(猫彫刻)》と同じく、落合多武によるものだ。極端に巨大なテーブルの上にはドローイングやオブジェなど様々な要素が点在している。しかしここで視点をずらしてみよう。ねこのようにテーブルの下を覗けば、そこにはまったく違う世界が広がっている。
豊田市美術館を象徴する吹き抜けの展示室。その壁面で強い存在感を放つのが、五月女哲平による《black, white and
others》だ。短冊状のパネルは一見白黒のモノトーンだが、その側面をよく観察してみると、そこには様々な色の痕跡が見える。くり抜かれた円形も相まって、空間に揺らぎを与えている。
また五月女は上階の展示室でも作品を展示。地平線や水平線を円で描いた《horizon》は、展示室外にもつながり、通路の壁面すら絵画空間へと変容させている。「絵画とはこうである」という固定概念を覆す営みだ。
人間社会で固定化された考えや社会規範を逸脱し、異なる視点の気づきを与えてくれる現代美術家たちは、さながら「ねこ」のようだ。7組の作家たちが見せる様々な道を、美術館でたどってみてほしい。