さよなら岩波ホール「タルコフスキー、ブレッソン、ベルイマン、黒木和雄…名作と出逢ったあの場所」
同館が開館したのは1968年2月のこと。当初は映画館ではなく、人々の文化的な交流を育む「多目的ホール」としてスタートしたという。その後、1974年にインドのサタジット・レイ監督作『大地のうた』(1955年)を上映したことを機に、岩波ホールは「映画館」として機能し始めた。
筆者が最後に岩波ホールを訪れたのは最終日の最終回。この回は平日ながらも早い時間からチケットが完売し、開場前のロビーはさまざまな格好をした老若男女で溢れ返っていた。上映作品はベルナー・ヘルツォーク監督の『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』。寂しさや悲しみの空気が漂いながらも、何か熱狂のようなものが渦巻いているのを感じた。
岩波ホールはいつだってそうだ。大手のシネマコンプレックスのように、毎日、人でにぎわうことはないけれど、ここに来るたびに観客たちの持つ静かな熱を感じていた。そんな人々が岩波ホールの“最期”を見届けに来たのだから、閉館を惜しみながらも熱狂が生まれて当然である。
2013年に上京してきた筆者にとって、岩波ホールの存在は巨大だ。ここでアラン・レネやエルマンノ・オルミ、アンジェイ・ワイダの遺作を目にし、チベット映画の日本劇場初公開の瞬間に立ち会い、戦後70周年である2015年には高校時代から好きだった黒木和雄監督の「戦争レクイエム4部作」を初めてスクリーンで鑑賞した。
いくつものジョージア映画に出会い、カンボジアの近現代史を知り、グアテマラの伝統文化をのぞいたものだ。日本にいながら数々の異文化に触れる体験をしたのである。1974年から閉館までの間の上映作品数は、66の国と地域の247作品にのぼるという。そのうち筆者が岩波ホールへと足を運んだのは9年ほどのこと。その歴史のほんの一端にしか触れていない。いや、一部だけにでも触れられた幸福を喜ぶべきかもしれない。