博物館ネットワークは国際紛争を抑止する 民博の名誉教授が語る日本の役割
◆国と国をつなぐ〝仲人〟
国際研修は1994年、国際協力機構(JICA)主導で始まった。アジアやアフリカ、中南米など途上国からの研修員約10人を毎年半年間受け入れ、保存や収集、展示といった博物館技術を伝授。当時、民博の教授だった森田さんは、研修のコースリーダーとしてその基礎を作った。コース内容は時代に応じて変化しながら現在も続いており、これまでに64カ国、268人の研修生を受け入れてきた。
草創期の98年、技術研修先の一つである景観模型工房(同府箕面市)で、模型製作を学んだタンザニアの研修生は帰国後、その技術を生かして土産用の風景模型を製作し、母国のミュージアムショップで販売したところ好評を得た。入場料以外の貴重な収入を得られるこのアイデアが、研修員同士のネットワークで他国にも伝わり、参考にする国が続いたそうだ。
「日本は、研修を通して国と国をつなぐ〝仲人〟のような役割を担うことができると考えた」と森田さんは話す。
◆途上国出身者が交流
研修のプログラムは、64年から3年間ベルギーに留学した経験がベースになっている。20代の後半に、同国の国費によってブリュッセルの王立文化財研究所で研究生として文化財の保存修復を学び、大水害で被害を受けたイタリア・フィレンツェの文化財救済にも当たった。
研究生の仲間たちは多国籍で、途上国出身者がほとんどだった。アフリカからの政治亡命者や、民族問題をはらんだ旧ユーゴスラビア出身者らとも交流を深めた。「それぞれの国家が抱える諸問題を肌で感じる貴重な経験だった。また、人と人の交流でシンパを作っておくことの大切さを知った」と振り返る。
そんなベルギー留学で得た仲間たちは帰国後、母国の博物館でキュレーターとして活躍。JICAの研修が始まった90年代半ばは、それぞれ管理職として発言力のある立場となっており、ガーナのかつての仲間からは、「今度、部下が日本に行くから、何かあったらよろしく頼む」と電話があった。逆もまたしかりだった。
「異国の個人間で築いた人間関係は、本当に貴重な財産だった」と語る森田さんは、そうした人脈が「政治レベルでも生きてくる」と考えている。「いざというときに無視できない戦争抑止力、つまり防衛にもつながると思う。例えば、外国人留学生への奨学金なども、交戦回避のための民意構成に必要な防衛費となるだろう」。JICA研修の運営においても、「国際紛争を回避する手段の一つという意識をいつも持っていた」と話す。
◆広がるネットワーク
日本では70年代後半から80年代にかけて、都道府県立や市町村立など公立博物館の新設ラッシュが続いた。日本博物館協会によると、現在4468の博物館が存在するという。
かつて手探りで博物館を誕生させてきた日本のノウハウこそが、一から立ち上げようという途上国の博物館づくりに役立つ。森田さんは、民博を退官後も2004年から数年間、ヨルダンの博物館の人材育成の支援に当たってきた。「自分たちの力で作り上げたという自信を持つことが大切」であるため、その支援の引き際も大事だという。
自らを「博物館屋」と称し、世界を舞台に博物館活動に尽力した森田さんは現在も、タイやペルーなどかつての仲間との交流が続いている。世界に広がるネットワークこそが、平和の礎となると信じている。(横山由紀子)
■森田恒之(もりた・つねゆき) 昭和13年、東京都生まれ。東京芸大美術専攻科絵画(修復技術)専攻修了。ベルギー王立文化財研究所研究生、埼玉県立博物館学芸員、東京都美術館学芸員などを経て、平成5年に国立民族学博物館教授。14年退官し、同館名誉教授。