解散から半世紀で見つめ直す「具体」。大規模展、大阪の2美術館で共同開催
具体は1954年に兵庫県芦屋市で結成された美術家集団。画家・吉原治良(1905~72)が中核となったこの集団は、絵画をはじめとする多様な造形実践を通し、上述の「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示」しようとした。具体は吉原による指導のもと、会員たちがそれぞれの独創を模索のち、1972年に解散した。その18年に渡る活動は、戦後日本美術のひとつの原点としていま、国内外で注⽬されている。
大阪中之島美術館と国立国際美術館、2つの美術館が共同企画するという非常に珍しい機会である本展「すべて未知の世界へ ー GUTAI
分化と統合」は、「分化と統合」をテーマに掲げ、新しい具体像の構築を目指すものだ。
本展担当学芸員は國井綾(大阪中之島美術館主任学芸員)と福元崇志(国立国際美術館主任研究員)。「分化と統合」とは、誰かの真似ではなく、互いに異質であろうとしながら、あくまで⼀個の集団としてまとまろうとした具体のあり方を形容するものだ。
出展作家は、吉原治良のほか、今井祝雄、上前智祐、嶋本昭三、白髪一雄、白髪富士子、田中敦子、堀尾昭子、堀尾貞治、向井修二、村上三郎、元永定正、山崎つる子、吉田稔郎、ヨシダミノル、吉原通雄など39名。
開催の地となる大阪・中之島は、具体の活動拠点「グタイピナコテカ」が建設された地。具体を振り返る大規模展を開催するのにこれほど適した場所はないだろう。
国立国際美術館の島敦彦館長は、本展を「大阪中之島美術館開館年に開催されるのに相応しいもの」としつつ、「国際的に注目が集まる具体の活動の再検証し、軌跡をたどるもの。そして新たな具体像が鑑賞者の眼に結ばれることを願っている」とコメント。また、吉原治良作品800点を所蔵する大阪中之島美術館の菅谷富夫館長は、「具体の展覧会は当館にとって非常に重要。隣り合う美術館との共同企画はありそうでない。代表的な作品を集めており、具体を再認識する機会となっている」と自信をのぞかせた。
2館にまたがる会場は美術館ごととなっており、それぞれにテーマが設定されている。会場ごとに見どころを紹介しよう。
「分化」の大阪中之島美術館
大阪中之島美術館では、具体を「分化」させることを目的に、まだ明らかにされていない先駆性と独創性の内実に着目。具体の制作からいくつかの要素を抽出し、個々の作家の制作にフォーカスすることで、具体の強い「オリジナリティ」の実像が浮かび上がっている。
会場は4つのキーワード、「空間」「物質」「コンセプト」「場所」で構成された。例えば「空間」では、田中敦子の《電気服》(1956/86)や吉原治良の《作品》(1971)など、「具体」と言えば思い浮かぶような、強度のある作品が空間を支配する。
吉原治良は具体美術宣言において「物質主義」を全面に押し出し、ゆえに具体にとって長い期間、「物質」は大きな意味を持っていた。第2章「物質」は、盛り上がった絵具をはじめ、物質性が強く押し出された作品が並ぶ。
具体は作品の「説明」を嫌うことで知られているが、説明が必要不可欠な「コンセプチュアル」な作品もあった。第3章「コンセプト」の章では、田中敦子の《作品(黄色い布)》(1955)や白髪一雄《作品(赤い木)》(1957)をはじめとする、目に目えないものを表現しようとした作品にフォーカスしている。
なお、記号でそのものの価値を上塗りする向井修二の《記号化されたトイレ》(2022)や《アバター1,2,3,4,5》(2022)など、本展のために制作された作品にも注目だ。
具体はホワイトキューブでの発表以外に、芦屋公園や武庫川河口など特殊な場所でも展示を行っており、「場所」そのものが作品を構成する重要な要素だった。本展では、「野外具体美術展」(1956)で発表された元永定正の《作品(水)》の再制作が巨大な吹き抜け(パッサージュ)を飾るほか、1960年になんば髙島屋の屋上で実施された「インターナショナル スカイ フェスティバル」(1960)が、期間限定(11月15日~20日)で再現される。
「統合」の国立国際美術館
国立国際美術館の展示は、具体を「統合」し、集団全体として模索の軌跡を追うもの。必ずしも⼀枚岩でない具体という集団の、内なる差異をあぶりだし、そのうえで「統合」してみせることが主な⽬的だという。
展示は時系列ではなく、複層的な図式で具体を紹介。担当学芸員の福元は「バラバラにまとまっているというのが具体の特徴。その共有していた理念を、実際の作品を通して検証する」と話す。
キーワードとなるのは、具体初期の様々な言葉のなかで頻出する「自由」。福元はこの「自由」について、こう述べている。「自由に描くということには必然的に厳しさや葛藤が伴う。具体の作品は自由の厳しさを体現するもの。いま具体を見る意義はその1点にあるのではないか」。
第1章「握手の仕方」は、吉原が具体美術宣言のなかで述べた「具体美術に於いては人間精神と物質とが対立したまま、握手している」という言葉から取られたもの。「精神と物質の対立したままの握手」という、わかるようでわからない言葉。ここでは、絵具ではない物資を絵画にまぎれ込ませることで「精神と物質=支配と被支配」の関係を崩そうとした作品などによって、「対立したまま握手」するという意味が明らかになってくるだろう。
作品は「意味」を求められることが多いものだが、具体は「無意味」を目指そうとした集団だった。第2章「空っぽの中身」は、そうした具体の展開を、特定の意味が込められているわけではない作品で提示する。
吉原治郎の丸を描いた作品は好例だ。その丸は意味(例えば「禅」など)を帯びた記号ではなく、描くことに専念するための方便だった。作品から固定された何かを受け取るのではなく、目の前にある空虚に思いを巡らせたい。
初期は画家集団であった具体も、徐々にそこから逸脱していく。3章「絵画とは限らない」では、絵画と現実空間との関係を探る実践の数々が紹介されている。
絵具が剥落することでリアルタイムの時間を画面の中に取り込もうとした村上三郎、あるいは画面の外に意識を向けさせる吉原治郎の絵画や、光や音を出すことで空間に直接介入するヨシダミノル。現実と絵画の関係を崩すような数々の実践に身を置いてほしい。