大子漆(だいごうるし):文化財修復にも欠かせない“血の一滴”
茨城県大子町で採れる「大子漆」は最高品質の漆だ。透明感あふれる独特の光沢が出るため、主に高級漆器に使われる。しかし国産漆が衰退していく中、最盛期には150人以上いた漆掻(か)き職人も高齢化などにより減少し、現在では専業者はわずか数人を残すのみとなっている。
日本の伝統的な塗料である漆は、ウルシの木の樹液を精製したものだ。固まると接着力が強く、防水性や耐火性にも優れている。採取方法は、幹に横一文字の傷をつけ、木が傷を癒すために分泌する液をヘラで掻き取る。木が成長するまでに10年を要し、1本の木から採れる漆はわずか180グラム、コップ一杯ほどだ。一度採取した木から、再び漆を採ることはできない。漆掻き職人は、「漆の一滴は血の一滴」と呼んで大切に扱う。
漆の歴史は古く、1万年以上前の縄文時代の遺跡からも漆塗りの装飾品が見つかっている。飛鳥・奈良時代には寺院などの建造物や仏具などにも使われるようになった。鎌倉・室町時代には漆器産業が盛んになり、貴族の食器や武士が身につける鎧(よろい)にも漆塗りが施された。江戸時代には輪島塗や会津塗など漆器の産地が全国に誕生。海外への輸出品としても珍重され、ベルサイユ宮殿のマリー・アントワネットの部屋には、漆器の展示スペースがあったという。西欧の王侯貴族に愛された日本の漆器は「Japan」と呼ばれ、中国の「陶器=China」と並び、東洋を代表する工芸品として名声を博した。
大子漆は主成分のウルシオール(樹脂)を多く含む。ウルシオールはフェノール系の物質で、含有する割合が高くなるほど透明度が増す。さらに塗り上がると深みと温もりを感じさせる独特の光沢を発するため高品質の漆として国内外で認知されている。この良質な漆は昔から、輪島塗など高級漆器の仕上げ用として使われてきた。人間国宝に認定されている漆芸家・大西勲氏も大子漆を愛用する一人で、「何度も塗り重ねるほどに深みのある輝きが出てきます。他の産地の漆ではこの艶(つや)は得難い」と語る。
大子漆は、茨城県大子町および栃木県那珂川町などで採取される漆のことを言う。大子町は寒暖の激しさが漆の生育に適した地形で、昔から優れた漆の産地として知られていた。大子町におけるウルシの栽培は古く、水戸黄門で有名な水戸藩二代藩主・徳川光圀が植栽を奨励し、農民の持ち高一石につきウルシの木1本を植えさせたことに始まる。当時は、塗料のほかに蝋燭(ろうそく)にも用いられた。明治初期には約3トンの採取量があり、昭和初期から福井・石川・福島など他県から漆掻き職人が大子町や那珂川町に滞在して漆を採った。
かつては生産量日本一を誇っていたが、近年の生産量は岩手県に次いで茨城県が全国第2位、栃木県が第3位となっている。岩手県が1位なのは、二戸市浄法寺(じょうぼうじ)町を本拠とする漆掻き職人が採取する「浄法寺漆」の集積地だからだ。