茹でたパン「ベーグル」はなぜ人気の朝食になったのか、米国では年間2億人超が食べる
ベーグルの誕生にまつわる神話はいくつかある。良く知られている言い伝えでは、1683年のオスマン帝国によるウィーン包囲の撃退に貢献したポーランドのヤン3世ソビエスキに敬意を表してパン職人が作ったパンが始まりだという。また、9世紀にプロセインかポーランドに住んでいたユダヤ人パン職人が、反ユダヤ政策によってパンを焼くことを禁じられていたため、パン生地を茹でることを思いついたという話もある。
しかし、ベーグルの歴史に詳しいマリア・バリンスカ氏は、著書『The Bagel: The Surprising History of a Modest Bread(ベーグル:控えめなパンの意外な歴史)』のなかで、どちらの話も事実ではないと主張する。
バリンスカ氏によると、ベーグルの起源はウィーン包囲よりもはるかに古く、13世紀に、現在のポーランドがある東ヨーロッパに住んでいたユダヤ人パン職人にまで遡るという。当時、主にユダヤ教徒とキリスト教徒を分離するために、ユダヤ商人たちの活動を細かく規定した反ユダヤ政策があった。そんななか、パン職人には少しばかり自由が多く与えられ、ユダヤ人だけでなく近所に住むキリスト教徒のためにもパンを焼くことが許されていた。
なかでも特に人気だったのは、低脂肪の生地を輪の形に成型して茹でた「オブワルザネク」と呼ばれるパンだった。その起源はドイツだと考えられているが、四旬節の間、脂肪分の多い食べ物を控えていたキリスト教徒が、これを好んで買い求めた。また、ユダヤ人向けにはそれよりも小さく、1人分の大きさに作ったものを、日常的に食べるパンとして販売していた。こちらは、ポーランド語でバイゲル、イディッシュ語でベイガルと呼ばれていた。
やがてポーランドのユダヤ人社会は、ベーグルに様々な意味を込めるようになる。新生児を保護する風習の一環として、産後の母親に食べさせたり、弔いの儀式に使われたりした。そのうちキリスト教徒も、オブワルザネクではなく、普段食べるパンとして、ユダヤ系のパン屋からベーグルを購入するようになった。こうして、東ヨーロッパの都市化と近代化に伴い、ベーグル人気は拡大していった。