100人の読者より100人の書き手を。代表・南島興と執筆陣が語るコレクション展レビューサイト「これぽーと」の思想
南島興
学生時代から美術館・博物館の役割を再考する必要があると思っていました。美術館の主な仕事は、作品や資料の収集、保存、研究を行い、その成果発表として展示をすることなので、本来であればコレクション展こそが美術館の活動の中心であるはずです。しかし、日本の美術館においては戦後から現在にいたるまで、新聞社やテレビ局といったマスコミと組んで予算を集め、海外を含めた他館の収蔵品を借りて大規模な企画展を行い、集客をするという構造が続いてきました。
各館で常設的に開催されているコレクション展は非常に意義深く魅力的なものも多いのですが、予算も来場者も多い企画展と比べると相対的に地味になってしまうことも多く、世間一般においてもコレクション展は企画展のおまけとしてついてくるものという認識が強いのは事実です。
しかし、本来の美術館の役割からすると、逆であったほうが自然です。いち個人がこうした美術館の構造をすぐ変えることはできませんが、それでも何かできることはないかと考えたとき、まずは観客として真摯にコレクションを見ていることを広く示すことが重要だと思ったんです。そこで、大学院生だった2020年8月に「これぽーと」を始めることにしました。
──2020年は新型コロナウイルスの影響によって、海外から目玉となる作品を借りてきて開催する大型の企画展、いわゆるブロックバスター展が次々に開催中止や延期となりました。そういった状況で、美術館が持っているコレクションに改めて光が当たることになりましたが、こうしたことも「これぽーと」を始める後押しになったのでしょうか。
南島
先ほどお話したような美術館の企画展偏重の傾向は昔からのことなので、本当はいつ始めても良かったことではありますが、やはりコロナ禍においては海外との人とものの移動に制限がかかったことで、自館のコレクションに対する関心が高まっていました。あのタイミングだったから、読む人も書く人も高いモチベーションで携わってくれる「これぽーと」の土台ができたとは思います。
ただ、僕は「これぽーと」を通じて企画展偏重の構造を批判したいわけではなく、企画展と共存しながらコレクションの見方を提示することで、多くの人が美術をおもしろいと思える回路をつくりだせるのではないかと考えています。ブロックバスター展が人を集めるのは、そもそも美術に関心を持ってる人が多いということでもあるので、その人たちにコレクション展もおもしろいと思ってもらえるような導線をつくりたかったんです。
──多くの書き手が「これぽーと」にコレクション展のレポートを執筆していますが、この執筆陣はどのように集めたのでしょうか?
南島 「これぽーと」を始めるにあたっては、多様な書き手を集めたいと思いました。既存の美術メディアには僕も寄稿させてもらっていますが、
そうしたメディアに新しい執筆者が出てきても、結局いつも僕の知っているような人ばかりだという印象がありました。本当は、もっと多様な人々が展覧会を見て、美術について考えているのだけど、その方々の言葉は既存の美術メディアのなかでは取り上げられない。どうすればそういう人たちと出会うことができるのかと考えたんです。
そこで、Twitterで「常設展レビューに関心がある方いませんか?」とフラットに呼びかけて、参加したいという方には全員参加してもらうことにしました。男女の比率を同じにしようとか、若い人を積極的に集めようという意識はありませんでしたが、自然とバランスのとれた構成になったと思っています。最初は30人ほどで始め、来る者は拒まずの精神で続けて、現在はゲスト執筆者も含めて40~50名くらいの方が書き手となりました。
──ここで、執筆者の塚本健太さん、松村大地さん、Naomiさんに、それぞれの経歴と、どのような思いで「これぽーと」に参加したのかお聞きできればと思います。
塚本健太
私は南島さんのTwitterのフォロワーだったのですが、美術を専門としているわけではなく、東京都立大学の都市環境学部で政策科学について学んでいます。文化政策のなかで求められる博物館・美術館像を、コレクション展についての文章を書くことで問い直したいと思い参加しました。
松村大地
私は京都工芸繊維大学の学部生で、建築や美術、キュレーションなどについて勉強しながら、自身も作家として活動しています。美術メディアが取り上げる展覧会は関東の展覧会が多いと感じていたので、関西のコレクション展を紹介できればと思い参加しました。
Naomi
私は30代後半の社会人です。子供のころから美術館は大好きだったのですが、専門的に勉強をしたことはありませんでした。ただ、それぞれの美術館の個性が現れているコレクション展は大変おもしろいのに、なぜいつも空いているのかと常々思っていたので、その魅力を伝えられたら、と思い参加しました。現在、大学で芸術史や博物館学を学んでいて、美術ライターとしての仕事も少しずつ始めています。
──来歴も興味関心の範囲も様々な執筆者が書く展覧会のレビューを、美術館学芸員という本業の傍ら編集するというのは、南島さんにとって大変な労力ではないでしょうか。
南島
たしかに労力的な大変さはありますが、そこまで負担だとは思っていません。僕よりも執筆者のみなさんの方がすごいと思います。お金を払ってコレクション展を見に行き、2000字ほどの原稿を執筆し、僕が返したコメントについて考えたり対応したりする。それは簡単なことではないはずです。本当に書き手のみなさんのモチベーションが素晴らしくて、「これぽーと」はそれに支えられてる部分が大きいです。
──執筆者のみなさんは「これぽーと」への寄稿を続けることで、どういった経験を得ていますか?
塚本
以前、南島さんが「美術業界には初心者に向けた場と玄人に向けた場は用意されているが、そこをつなげていく場所がない」と話されていました。私にとって「これぽーと」はそういった場所です。書くために展覧会を見るという行為を経験しなければ、美術の理解において新たなステップに進むことができなかったと思います。
松村
レビューを書くという経験によって作品を見る解像度が上がったと思います。また、作品だけではなく、美術館そのものへの解像度も上がりました。コレクション展で展示された作品が、他館の企画展で並ぶことがありますが、どういったキュレーションによってその作品がその場に置かれているのか、ということが見えるようになり、美術のつくり手としてだけでなく、読み手としてもすごくアクティブになれました。
Naomi
私も、美術の初心者ではないけれど、難解な美術批評にはついてけないと感じることが多かったです。「これぽーと」で書いたり、みなさんのレビューを読んだりすることで、批評とは何か、考えることが増えました。私自身は書くのが本当に楽しくて、ついエッセイのようになってしまうので、まだまだ批評の段階には達していないと思っていますが。
──コレクション展は企画展と比べて、同じ作品が繰り返し展示されたりと大きな変化に乏しいですが、その魅力を多くの人に伝えるために、南島さんは何を意識していますか。
南島
「これぽーと」と同時期に、美術系に限らず少なくないメディアがコレクション展を取り上げていたので、一般的にも美術館のコレクションに対する関心が少しは高まったと思っています。ただ「これぽーと」は一過性ではなく、基本的にはずっと続けていくつもりのプロジェクトです。
コレクション展はその館が所蔵している同じ作品が一定のスパンで繰り返し展示されるわけですが、展示方法やキュレーションによってその見え方が変わります。ほかの作品を見てきた経験が蓄積されたり、ライフステージが変わったりすると、同じ作品を見ても見え方が少しずつ変わっていく。コレクション展はそれに気がつける場所です。
コレクション展が多くの人のライフワークのなかに組み込まれ、長い時間を経てその人のなかで見え方が変わっていくというのが、美術館のコレクションと社会との理想的な関係ではないでしょうか。だから、読者数が多くはなくとも、淡々と長く続けていくといことが「これぽーと」の使命だと思っています。
──「これぽーと」には「レビューの使い方会議」という、これまで投稿されたレビューについてのレビューを南島さんが定期的に書く記事もあります。執筆されたレビューの意義を振り返ることで再度検討のための俎上に載せるという重要な試みですね。
南島
本当は「レビューの使い方会議」を、もっと本腰を入れてちゃんとやらなくてはと思っているのですが(笑)。一度掲載されたレビューを見直すことで、コレクション展とは何かについて考えることができるのではと思って始めたものです。
レビュー記事の寿命というのは、短すぎると感じています。展覧会の寿命も同じかもしれません。公開しても一瞬で消費されてしまう。「これぽーと」ではそれよりも、誰が何をあのときに書いていたのかということを記録し、それを土台に議論を蓄積していきたいんです。そうしないと、相互批評は不可能だと思いますし、総体的な批評の質を上げるためにはやらなければいけないことだと考えています。
──執筆者のみなさんのお話を聞いていると、「これぽーと」はコレクション展のレビューを掲載するだけではなく、美術について書くことを訓練する場所としても機能しているように思います。こうした側面は、当初から南島さんが意図していたことなのでしょうか?
南島
たしかに「これぽーと」は一種のオンラインゼミのようなところがあります。私は本職の編集者ではないですが、編集作業というのは教育に近い行為だと感じています。グーグルのドキュメント上でコメントをやり取りしながら文章ができあがっていくというプロセスは、例えばレポートを書いて講評するという大学の授業に似ていますが、編集にはテキストを介した書き手と読み手(南島)とのあいだに相互のコミュニケーションがあります。
「これぽーと」を外から見れば、レビューが公開されて人に読まれているというだけかもしれませんが、裏側では本当に様々なことが起こっています。執筆メンバーのほとんどは一度もレビューを書いたことがなかったのですが、まずは書いてみてほしいというところから始めました。最初は僕も手を入れていましたが、最近は手を入れることも少なくなりました。それは単に文章を書くことに慣れたからという理由だけではありません。手を入れるためには、編集の側に何らかのレビューに対する価値基準がある必要がありますが、様々な書き手のレビューなるものを読むと、そのレビュー観が毎回、揺さぶられるんですよね。だから、編集量の変化は、この2年で自分のなかにある「批評と何か?」という考え方自体が変わってきたことの表れだとも思います。そこで、ふと気づくのですが、これぽーとのA面がレビュー公開サイトだとすれば、そのB面はきっと相互に学び合うスクール的な機能を果たしているんですよね。コロナ禍におけるオンラインのスクールのような機能を「これぽーと」は持っています。
「これぽーと」の記事の読み手は数が多いわけではないし、読み手が増えることによって大きな影響力を持つとも思っていない。むしろ、いま話したような双方向的な方法で「書き手を育てる」ということが、もっとも重要なんじゃないかと最近思っています。読み手を増やすよりも、2000字のレビューを執筆できる書き手を増やす方が、美術について真剣に考えるときの豊かなバッファのようなものが生まれてくる気がしています。少なくとも「これぽーと」の執筆陣は、書くという行為によって、展覧会をより深く豊かに見られるようになっているわけです。
──お話を聞いていると、南島さんは「批評」という行為に大きな可能性を感じているようですが、それはなぜでしょうか。
南島
大学院生のとき、株式会社ゲンロンで、批評家の佐々木敦が主任講師を務める「批評再生塾」に参加していました。このときの体験がとても大きいかもしれません。僕が参加した期では美術を扱っていたのは僕だけで、ほかには演劇、映画、音楽といった様々なジャンルで批評をする人が集まっていました。彼らと同じ課題に取り組み、批評を講評されるということを1年間やったわけです。
そこでは、美術の前提を共有していない様々なジャンルの人たちに対しても通じる言葉や文体をつくっていかなければいけませんでした。当時は自分が知識を共有しない他者に対してどのような言葉を準備できるのか、ということをつねに考えていました。
学芸員になり、「これぽーと」を編集するようになったいまでも、そういった「美術の専門家ではない人たちの言葉はどこにあるのか」という問いを持ち続けています。作品を見ている以上、発信していないにしてもみんな何かしらの言葉を持っているはずで、それは老若男女関係ない。美術メディア、あるいは現代美術というくくりの中に入っていないから届いていない言葉というのはたくさんあって、そういう言葉を見つけないと、本当の意味での批評はできないと思っています。
──「これぽーと」は当時の南島さんにとっての「批評再生塾」と同様の機能を持ちつつあるということですね。
南島
批評再生塾は、基本的にはコンペティションなので、これぽーとの実態とはまったく異なります。ただ、それがスクールというかたちをとっていたことが、いまのこれぽーとの活動につながっていることは確かです。
「これぽーと」
にもスクール的な側面は不可欠です。それは、書かれた原稿をただ掲載するよりもずっと労力が必要なことですが、批評の衰退の要因はそこを怠ってきたというところもあると思うので、譲れないところです。
──南島さんは学芸員なので研究者としての立場もありますが、「これぽーと」の批評的な営みが本職での研究的な立場に影響を与えたりもするのでしょうか?
南島
批評って同時代性を意識する行為ですよね。いま、何が起きているのかということを分解して分析してみせることが批評の基本的な仕事だと思っています。よくわからないものが出てきたとき、批評家がそれを論じ、それに対して反証が出ることで、議論ができあがっていく。
だから、研究者が批評的な観点を持って、自身の研究対象が持つ同時代性を探ることは必要だと思っています。例えば、初期ルネサンスの絵画を見たとき、そこにジャクソン・ポロックのドリッピングらしきものを感じ取ることはあり得ます。でも、ルネサンスの時代にポロックはいないわけですから、それは実証的な研究の観点からすると誤った理解ですよね。でも、現にそのようにルネサンスの絵画を見てしまったという経験は存在している。この経験について美術的な観点から語れないというのであれば、それはイメージの持つ力を大きく見誤っているのではないかと思います。僕のなかでの批評するという行為は、そういった対象の同時代性に向き合うという行為です。
──今後の「これぽーと」の展開や方向性についてはどのように考えていますか?
南島
コロナ禍が落ち着いたら、例えばレビューを書いてもらった人と僕で美術館のコレクション展に行って解説をするといったような、リアルな場での何かをやるという方向は考えています。
長期的には、スクールのようなものをつくり、その活動のひとつとして「これぽーと」が続いていく、ということも考えられると思います。それはたんなる学校ではなく、その概念の拡張や再発明をして、人々が出会って意見を交換する。批評とは何かということを、つねに揺さぶり続ける場です。そうした揺さぶりを中心に、スクール的なものへとたどり着けたらと思います。
──いっぽうでたんなる学校を目指してしまうと、どうしても教えることの権威性や、ハラスメントにつながりかねない権力の勾配の問題も出てきますよね。
南島
それは2010年代からの宿題ですよね。2010年代の終わりにスクールやコレクティブ的なものの崩壊を見てきたので、僕はつねに個であることを強く意識しています。
「これぽーと」は個の人間のそれぞれの活動の集合体であって、そういった基本は今後もぶれないようにしていきたいと考えています。スクールというかたちでまとめたときに、僕がトップに立って先生的な役回りをしてしまうと、そうした「これぽーと」の理念が失われてしまう。
とはいえ、スクール=学校というのは、実は現代美術の中心的なテーマだったはずなんですね。アート情報サイト「e-flux」の創始者であり、映像作家/キュレーターのアントン・ヴィドクルは、「Exhibition
as School in a Divided
City」と題されたステートメントで、学校としての展覧会を始めようと述べています。国際的な現代美術の展覧会に行けば、「文化的差異の生産」「植民地化の課題」「現在との決定な対立」「都市の諸条件」といったことが語られていて、そうした展覧会はある社会の中で具体的な使命を果たそうとしています。ヴィドクルはこれは本来、学校の仕事なのではないかと考えるわけです。2022年でもその現状は変わっていないと思います。
つまり今後は、学校の歴史というものを、いままで以上に重視して展覧会をつくらなければいけないのではないでしょうか。現代美術における問題を解決するための補助線のようなものとして、学校というものを考えていきたいと思っていますし、「これぽーと」もそのためのひとつの足がかりにそれを再発明できるのではないかと考えています。
──最後に「これぽーと」について伝えておきたいことがあればお聞きしたいです。
南島
最近、新たな書き手の加入が滞り気味なので、新たな執筆者にもっと参加してほしいと思っています。「これぽーと」で書くということは、知識が増えるとか、僕の考えがわかるようになるとか、そういったことではなくて、自分が何を考えていたのかがわかるようになるということだと思っています。単純に知的に楽しい作業だと思いますし、書き手が増えると美術の世界がきっと良い方向に進むと思いますので、ぜひ参加していただけると嬉しいです。