レジー ファスト教養とは何かーービジネスに役立ち、成功をつかむためのリベラルアーツ!?
(『中央公論』2022年4月号より抜粋)
「まずは、夏目漱石、司馬遼太郎、村上春樹、三島由紀夫。このあたりを全部読まなくてもいいのですが、一冊も読んだことがないとなると「さすがにどうなの?」と思われます。好きか嫌いかはどうでもいい。むしろ、嫌いでもいい。まずは、読んでみる。ただそれだけなので今からでもできます。そういうある種の一般教養のほうが、小手先のスキルよりも大切なのです。パソコンでいうと「OS」みたいな部分だからです」
いくらか挑発的なトーンを含んだこのフレーズは、リクルート、LINE、ZOZOなどで要職を務めてきた田端信太郎が「これからの時代に会社員がどう生きていくべきかをまとめた」書籍、『これからの会社員の教科書』(2019年)の一節である。該当部分は、「「社交スキル」は一生モノの武器になる」という章からの引用であり、その直前には音楽ユニットのフリッパーズ・ギターについて知っていた大学生を田端が採用決定とする描写がある。
小山田圭吾と小沢健二の2人からなるフリッパーズ・ギターは、1987年から91年にかけて活動していた「渋谷系」の先駆者とも言われるユニットだ。2019年当時の大学生が知っていたとしたら「古いものをよく知っている」部類に入ると言っていいだろう。
学業や専門的なスキルではなく過去のポップカルチャーに明るいことを採用の決め手とする意思決定について、田端は以下のように解説している。
「これを「一般教養」というのか「人間力」というのかわかりませんが、ビジネスの場面では案外そういうものがものを言います」(前掲書)
立て続けに登場する「一般教養」という表現。ここではこの言葉が昔の作家やミュージシャンに関する知識のことを意味しており、それが目上の人と話を合わせる際に役に立つ(時としてその知識が面接通過という結果を呼び込む)という効用が示されている。
田端が語る教えやエピソードは、最近改めて聞かれることの多い「ビジネスシーンにおいて教養(リベラルアーツ)が大事」という話の含意を端的に表していると言えるだろう。立場が上の人(つまりはビジネスにおける意思決定を司る人)の繰り出す話題についていくことができれば、自身の印象を良いものにすることができる。それによって、仕事をスムーズに進められる。その先には、収入アップや出世といった結果が見えてくる……こういった流れを生み出すためのフックとして、教養というものの重要性が各所で説かれている。
ここまでの話を言い換えると、こういうことになるだろう。教養やリベラルアーツという、一聴すると高尚な言葉で語られる概念は、現代の日本において結局のところ、「個人の生存戦略に必要なツール」程度の扱いになりつつあるのではないか? まずはこんな仮説に基づいて論を進めていきたい。教養という言葉の持っていた様々な意味が剥ぎ取られた結果、「ビジネスの場で使える小ネタ」としての機能ばかりがフォーカスされ、そしてそこに多くの人たちが飛びついているのが2010年代から現在にかけての状況なのではないだろうか。
田端が前掲書で説いた「えらい人と話を合わせるツールとしての教養論」は、2013年に『日経ビジネスアソシエ』がムックとして出した『ビジネスパーソンのための教養大全』に掲載された調査結果ともリンクしている。ビジネスパーソン1000人に対して行った「一般的に、ビジネスパーソンが身につけておくべきだと考える“教養”の分野を、次の中から挙げてください」というアンケートについて、同誌はその結果を下記三つのポイントでまとめている。
(1)実学志向:激しい競争の中、現代のビジネスパーソンには「高尚だが、何に役立つか分からない学問」にエネルギーを使う余裕はない(→「経済学」「経営学」「英語」など)
(2)日本人らしさの再確認:グローバル化が盛んに叫ばれる中、自国のことを語れないのは恥ずかしい(→「日本史」「日本文化」など)
(3)どんな分野も、ざっくりと大づかみに理解したい欲求:細かなウンチクより、バランスよく幅広い常識を得ることが、仕事に役立つと見られている(→「日本史全般」「世界史全般」「現代文学全般」)
特定のテーマを深く掘り下げるのではなく、何となく役に立ちそうな話を大雑把に理解することを重視する姿勢は、「教養」と「ビジネス(パーソン)」が結びつく場面で頻繁に登場する価値観となっている。田端が言うところの「嫌いでもいい。まずは、読んでみる」という教えと『日経ビジネスアソシエ』の調査結果を踏まえると、個々の知的好奇心をベースに探求するのではなく「押さえておかないといけないもの」を攻略する、チェックボックスを埋めるように話題の幅を広げることこそが、「教養あるビジネスパーソン像」に通ずる道としてとらえられていることがわかる。