連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第12回(前編)「დაბადების დღე」
私は不自由な姿勢で檻の中から絵を描いている。音楽は次々と変わって、そのリズムと並走するようにイメージが横切っていく。ガラス越しに音楽を奏でる二人の姿を、筆でとらえてはガラスの上に描かれる絵の中でキスをさせ、あるいは殴り合いをさせる。会場をうろうろと大きな影を引きずって私たちを撮影するGugaとBekaは、黒い鳥となってガラスを埋め尽くした。
2時間のライブは、ジョージアらしく30分遅れで始まった。
機材と演者である私たちは、会場の中心に吊られた大きなスクリーンの後ろに隠れるように位置をとった。スクリーンの横に掲げられたウクライナ国旗はバンドとともに旅をしてきたのだろう、よれた生地からそんな時間が漂ってきて、すっかり場に馴染んでいた。バンドの二人は楽器を挟んで向かい合っている。私は少し離れて、縦横120×50センチほどのガラス板を金属製の構造物に立てかけた、檻のようなものの中に動物のように収まっている。ガラス越しに二人が愛情深い目配りを交わしたのが見えると、薄暗がりを最初の音が貫いた。
窓のないレンガづくりの会場は大きな洞窟のように有機的で、観客の気配と重力を加速させるようなドラムの響きが高揚してくると、祝祭的な温かさがめぐった。それから私は目の前のガラスに描き始めた。手元に据えられたカメラが、始まりつつある絵を画家の目線でスクリーンに映し出していく。
はじめに、「art is alive and independent」と書きつけた。
道端の花売りがミモザを並べ始めた。とうとう1年という月日が一周しかけている。ちょうどこの国に来たころ、街中のどこでもミモザが売られていた。
2022年2月末、渡航の4日前に始まってしまったロシアによるウクライナ侵攻の殺伐とした空気は、私たちが日常をつくることを阻んだ。そのうえ、仮住まいのアパートの他人行儀な態度は生活にそぐわなかった。ある日、露店のおばさんから黄色い小さな花が房になっているミモザを1束買った。それを家の中で一番美しいコップに挿して窓辺に活けると、そこから私のテリトリーが始まったように思えた。
通りを挟んだ向かいのアパートのベランダは青く塗られている。室内から窓の外を見ると、私のミモザと重なってウクライナ国旗のように見えた。そんなふうに視界の中で青色と黄色が隣り合うとき、すぐさまウクライナを思った。
侵攻から1年ちかく経つと、街中に掲げられたウクライナ国旗は太陽に晒され色褪せている。夏頃にピークだったガソリンの価格は、いつの間にか落ち着いて侵攻前とさほど変わらなくなった。聞くところによると、制裁で売れなくなった燃料をロシアから安く買い入れて、それを外国に転売しているという。ジョージアは1994年、2008年と2度のロシアによる侵攻を受け、ロシアの支援で独立した2つの自治区を抱えることとなった(国土の20パーセントほどになる)。ウクライナの状況は彼らの歴史を反復し、そうであったかもしれない未来をも見せつけている。しかしソヴィエトから続くロシアはいまもなお深く根を張る。現政権はオリガルヒがつくった親露派の政党だ。スーパーマーケットを見渡せばロシア語製品が溢れている。国民の多くはロシア依存を抜け出すためにEU加盟を望んでいるが、生活がロシア資本で覆われていては抵抗し続けることは難しい。いま、ジョージアの苦しみはそのねじれのなかにある。
トビリシで知り合った音楽家がいる。シンセサイザーとボーカルのヒロキさん、ドラムのサラさん、二人は夫婦で「Heavenphetamine」というバンドを組んでいる。侵攻が始まるとすぐさま、音楽活動を縁のあるウクライナのために行うことを決めた。ジョージアをベースに、ヨーロッパツアーやレコーディングをしている彼らは、もともとの蓄えに加えてライブで得た収益のほとんどをウクライナに寄付している。自分たちの財産を持たずに、1年近くも知り合いや、そのまた知り合いの家を転々とカウチサーフィンしているタフな人たちだ。そんな彼らと、出会った当初から何か一緒にできればいいねと話していた。
2月中旬、間近に迫った帰国に急かされるように音楽と絵のライブの話が決まった。場所はHarakiという実験的な演劇やパフォーマンスアートを上演する、元ワイン工場の一部を使ったオルタナティブスペースだ。
構想はすぐに決まった。しかし、限られた時間のなかで必要なものを揃えることは不可能に思えた。ここではあらゆるものがそう簡単には手に入らない。朝晩のトビの散歩ついでに、街中のゴミ箱を覗いては使えるものが落ちていないか探し回っていた。ジョージアはゴミの分別がない。犬の糞からガラス、家電にいたるまであらゆるものが一緒くたに捨てられている。ゴミが資源として何かに生まれ変わることはないけれど、使えそうな不用品、まだ食べられるパンや果物などの食べ物は、ゴミ箱の横で引き取り手を待っていたりする。ちょっとした循環がそこにはあるのだ。
翌週に控えた本公演のため、打ち合わせをしにHarakiを訪ねた。何も見つけ出せなかったゴミ箱とは反対に、うっすらワインの香りが残る大きな倉庫は宝の山だった。私たちを待っていたかのように、必要なものはすべて会場にあった。
ライブの2時間、ただひたすら描いていた。私が描いていると自覚するよりも先に絵は描かれていく。いくつかの点がつながって顔が現れると、上から流れてきた絵具が骨になる。描いて、消して、描いて。動き続ける絵は目的も完成もなく、ただ時間とともに生きていた。
その日はちょうど私の誕生日、ライブの後にアーティストの友人たちがお祝いをしてくれた。すでに真夜中を過ぎ、元気な人々で溢れるレストランは爆音で懐かしい音楽を流していた。親しい顔がずらりと並んでいる。皆楽しげに笑っている。つい先ほどまで描き続けていたせいで覚醒状態が持続していて、それに皆口々にライブを褒めてくれるものだから、とにかく嬉しかった。あらゆる音の渦に負けぬよう、叫ぶように会話する。喉は枯れて疲れ切ってはいたけれど、どこまでも歩いて行けそうに思えるほど力が漲っていた。
この日、もうひとつ祝うことがあった。
ライブの少し前のこと、友人でアーティストのSandroが警察に捜査されていて、収監されるかもしれないとTamarから聞いた。彼が参加している国立美術館の展覧会で行ったパフォーマンスが問題になったというのだ。純粋な表現活動に警察の介入が入り、トビリシの美術界全体に緊迫した空気が張り詰めていた。
(後編に続く)
01. 庄司朝美「Daily Drawing」より、2022年、窓に油彩 撮影=筆者
02. Harakiにて、2時間のライブのための画 撮影=田沼利規
03. ライブの様子。「art is alive and independent」という言葉はSandroの事件を受けて 撮影=田沼利規
04. 街頭の花屋がミモザを売り始めた 撮影=筆者
05. トビリシのゴミ箱。毎晩回収がくるので、翌朝にはゴミ箱は空になる 撮影=筆者
06. ライブの様子。ロシア人客の姿も目立った。チケットの収益はウクライナへの寄付として送られた 撮影=田沼利規