アーツ前橋の特別館長に南條史生、館長に出原均が就任へ。「美術館として閉じるのではなく街に広げていきたい」
南條は1949年東京生まれ。国際交流基金を経て2002年に森美術館の立ち上げに参画し、06年から19年まで館長を務めた。現在は同館の特別顧問。また、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館や台北ビエンナーレ、横浜トリエンナーレ、シンガポールビエンナーレ、茨城県北芸術祭といった国際展の総合ディレクターも務めてきた。
いっぽうの出原は1958年徳島県生まれ。広島大学地域研究科修士課程を修了後、05年まで広島市現代美術館に勤務し学芸員や学芸係長を、07年から22年まで兵庫県立美術館に勤務し学芸課長などを歴任した。
就任に際し南條は次のように抱負を語った。「地域性と国際性のバランスをとっていきたい。それは異なる方向性のように思えるが、アートのおもしろさや自分たちの歴史を知っていくためには両方とも大事なことになる。また、新しいものと古いもの、両方を大切にもしたい。現代美術のクリエイティブな発想や若い世代の考え方を前橋に持ってくることで新たな波が生まれ、文化がより発展すると思っている」。
また、アーツ前橋が10周年を迎えるにあたり、今後の具体的な計画については次のように語った。「美術館として閉じるのではなく、箱の外に目を向け、街や生活のなかにアートを置いていきたい。10月を目安に開催する10周年となる企画は、こうしたことをきちんとやりながら、街とアートが相互に発展し、可能性を引き出し合うものとしたい。アートと街が融合していくことが長い目でみても大切だ。ひとつの街が美術館を所有するということは覚悟がいることだ。途中でやめることはできない。収蔵したコレクションをどうやって未来につないでいくのか、その責任をしっかりふまえたうえで進めていきたい」。
加えて、新館長の出原は就任後の使命について次のように述べた。「日本の公立の現代美術館のなかでは最初期につくられた広島市現代美術館や、関西で最初の近代美術館といえる兵庫県立美術館で勤務してきた。現代美術、近代美術双方を扱う現場での実務経験があり、それゆえに美術館の色々なところがわかっているという理由で選ばれたのだと思っている。南條特別館長のビジョンを、常駐館長である自分がどうやって具体化するかということが使命になる。スタッフと市との橋渡し役を務め、新しい美術館をつくっていければ」。
なお、特別館長は今回新たに設けられた役職となる。南條新館長は週に1回の会議(オンライン含む)に出席、月に2回ほどの来訪を目指す。出原新館長は週4日勤務となり前橋に在住する予定だ。
近年のアーツ前橋は大きくふたつの事件が問題となっていた。ひとつは、収蔵を視野に入れた作品調査の過程で、借用した6作品を紛失
した件。2020年11月に公表されたこの問題では、発覚の時点で退任が決まっていた当時の住友文彦館長が同年3月末に退任。調査委員会による調査やあり方検討委員会の設置を経て、今年3月には市が2作家の遺族に計400万円の賠償金を支払うことで和解が成立。住友前館長の退任後、専門職館長は据えられていなかった。なお、作品については盗難された可能性が高いとされており、
市は21年12月に前橋署に被害届を提出。現在も捜査中だ。
もうひとつは2019年にアーティスト・山本高之の個展を開催したものの、業務委託料に含まれていた記録集の作成が中断し、委託料の一部が支払われなかった件だ。本件について損害賠償請求を起こした山本に、市は80万円を賠償金として支払うことを昨年決めている。
こうした問題を前提にした今後の動きについて問われた南條は、自分たちは就任以降の新しい体制をつくることが命題だと前置きしたうえで、収蔵品の管理、書類の適合性、展覧会をつくるプロセス、予算管理、スケジュール管理、などを見直す考えを表明。効率化も含めて再構築する考えを示した。
また出原は就任後、事件の要因と管理体制を精査し、改善点を判断するとしている。