久しぶりに本が読みたくなる書評 『ゲームチェンジの世界史』(神野正史 著・日経BP 日本経済新聞出版)
さて、この「ゲームチェンジ」という言葉、元はビジネス用語だったものだが、著者は「ジェンガ」というゲームに例えて、実にうまく表現している。
「初めに木片(パーツ)を塔のように積み上げておき、参加者が順番に一本づつ木片(パーツ)を抜き取っていくゲームですが、ゲームが進むごとに塔は不安定になっていき、ある臨界点に達すると塔全体が一気に崩れ落ちます。じつは、これと同じことが歴史・社会・国家でも起こっています」
非常にイメージしやすい描写だ。
この本の著者は、ゲームの始まりの状態を「泰平の世」と呼ぶ。政治・経済・文化などの諸要素が密接に絡み合って安定した社会を形成している状態だ。ジェンガでいえばゲームの始まる前の「初期状態」に当たる。しかし…
「世はつねに移ろいゆくため、徐々に “社会機構(システム)と現実が乖離“していき、それにより社会は次第に不安定になっていきます。この状態をジェンガで喩えれば、“ゲーム進行中”に当たります」
ゲーム進行中、ジェンガの塔は盤石に見える。しかし内部では力学的な歪みが累積しており(社会の矛盾)、それが臨界点に達したとき、つまり最後の一本が引き抜かれたとき、ジェンガの塔は倒壊する。
一つの王朝・政権・帝国の中で矛盾が蓄積していき、ある事柄が契機となってその国家が崩れ去る。それと同じである。
著者は「ゲームチェンジ原則」として10の原則を上げているが、いずれも16のテーマでその実例を挙げているので、なるほどと納得しやすくなっている。
たとえば、
「ゲームチェンジに必要なものは、『発明』ではなく『実用化』『普及』」
上の原則では「鉄」の項目で「銃」に例をとって説明しているが、むしろ「鉄」そのものにも適応できることを著者は前段で説明している。
古代オリエント世界で「ヒッタイト王国」が隆盛をきわめたが、その原動力は「鉄」の実用化にあった。「青銅器時代」であった当時、「鉄」の精錬法を見つけ出したヒッタイトが地域の主導権を握ったのである。鉄は青銅よりもはるかに硬度が高く、鉄の武器は柔らかい青銅の武器を相手にしないほど勝っていた。
地理的環境には恵まれていないが鉄鉱石だけは豊富にあるヒッタイトは、起死回生を祈念して、鉄の精錬に全力を注いだ。「鉄」は新石器時代から知られていたが、低温で精錬した鉄は柔らかすぎて武器などの実用に耐えなかった。ヒッタイトは鋳造の際に炭を混ぜることによって、ついに実用に耐える鉄を「発明」したのだった。ここでは「発明」「実用化」が語られ、ヒッタイト王国を地域の強国に押し上げたという「弱いゲームチェンジ」の達成が見られるが、面白いのはその後である。
ヒッタイト王国は、当然のごとく鉄の精錬法を厳重な「国家機密」としたが、「アーリア民族の移動」という激動の中で滅亡してしまう。すると、製鉄技術がオリエント世界全体に広がり「青銅器時代」から「鉄器時代」にチェンジすることになる。
もちろん鉄は軍事的にも重要な素材となったが、農業でも柔らかく耐久性に難のあった青銅製から鉄製の農具に切り替わった。鉄の農具で耕すことによって土に空気を含ますことができ、根が張りやすくなるうえに、空気中の栄養素である窒素が土に溶け込むことになる。鉄製農具の導入で農業生産力が数倍になったという試算もあるらしい。
農産物の増大は人口の増大を引き起こし、さらにあらゆる側面で歴史を変えていった。ヒッタイト王国の地域大国化よりも、はるかに「強いゲームチェンジ」をここに見いだすことができる。