『皇室も宮内庁も情報発信を一から考え直さないと誤解と悲劇は続く』への皆さんの反応まとめ
皇室には不思議なことがいろいろある。
例えば、昨年12月に愛子さまは20歳の誕生日を迎えたが、それに先立って宮内庁はテレビ局に映像を提供している。愛子さまが愛犬の「由莉」と一緒に御所の庭を散策される映像や三の丸尚蔵館の美術品を鑑賞される映像がそうだ。テレビで放映された時はナレーションが入ったりするので違和感を覚える人はあまりいないが、「お貸し下げ」映像は無声映画のように声なしなのである。
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ナレーションを除いた素の映像がユーチューブで公開されているので見ていただければわかるが、かなり不気味である。これは愛子さまだからというわけではない。天皇・皇后の映像も同じで、眞子さんの映像もやはり声なしの映像だった。
「お貸し下げ」写真もそうだ。「御真影」のように、どこかの写真館で記念撮影してきたかのような画像ばかりである。誤解されないように、あるいは目立たないようにといった配慮かもしれないが、これでは生の皇室像が全く伝わってこない。映像というのは、言葉よりもはるかにメッセージ性が強いはずである。なぜ皇族の生の姿を伝えようとしないのだろうか。
「無色透明の映像」と言えばいいだろうか。こうした映像を見た人は、それぞれ勝手に解釈するはずである。何も問題がなければにっこり笑うだけだが、皇室に批判的な世論が湧き上がったとき、普段から皇族に対して確固としたイメージがなければ、「そんなはずはないだろう」よりも「やっぱりそうだったのか」と批判に追随するように広がっていく。眞子さんに関してがそうだった。意外な批判記事が出て最初は驚いただろうが、繰り返し反復されると、「皇族なのになんだ、これは!」と拒絶感が感染していく。デマが広がるのによく似ているのだ。これに対して宮内庁もきちんと説明しないから、負のイメージがどんどん膨らんでいき、結婚反対の大合唱になってしまったのではないか。
もちろんこうしたことは今に限ったことではない。ただ、平成の時代なら、天皇のご学友などが天皇の思いを代弁するかたちで否定するなりして肉声を伝えてくれたが、現在は天皇一家も秋篠宮一家もそのような人物がいるようには思えない。というより、秋篠宮さまが誰を信頼されているのかよくわからないそうだ。となれば、当然、その役割を果たすのが宮内庁のはずなのに、こちらも何をしているのかよくわからない。
■眞子さんもその“犠牲”になった
小室家へのバッシングがヒートアップしたとき、眞子さんへの影響を考えて宮内庁が動くべきだったのに、納采の儀を終えていないので皇室とは無関係と無視したのか、解決に向けて動いたようには思えない。そのため眞子さんが孤立していったことは十分に考えられるだろう。表立って動けないというなら、陰でメディアと腹を割って話し合う人物はいなかったのだろうか。
もはやマスコミをコントロールできる時代ではないし、ましてネットをコントロールするなんてとても無理だ。気に食わない書き込みがあっても、中国のように強権で閉鎖するわけにもいかない。それなら危機を避けるためにも、できるだけ皇室の内側から情報を発信していき、間違っているならまず話し合うしかない。それでだめなら抗議すればいい。
秋篠宮さまが昨年11月の誕生日前の記者会見で、事実と異なる報道に対して反論するための「基準作りをしていく必要がある」と述べられた。お気持ちはわかるが、皇族による言論への干渉と受け取られかねず、さらにSNSのような膨大な情報を誰がチェックするかを考えたら現実的ではないだろう。それよりも、皇室は自ら情報をもっと発信することで、透明にすべきところはもっと透明にすべきだ。
民主主義の世界で、時代と相いれない王室は消滅しかねないことを忘れるべきではないだろう。(つづく)