徳川家康・家斉、松方正義…性の悦びを堪能し尽くす偉人たちが欠かさなかった、「驚きの習慣」
徳川幕府を開いた徳川家康は治世を安定させるために、正室のほかに、多くの側室を迎え、一族の繁栄拡大を目指した。晩年まで勤しみ、66歳で子供をもうけている。
徳川といえば、第11代将軍の家斉を忘れることはできない。生涯で男子26人、女子27人、合計53人もの子供を授かった。ここまでになると、一族繁栄のためという理屈は、もはやお題目に過ぎない。窮屈な将軍家で生きた家斉にとって“性”は勢力拡大の手段ではなく、数少ない楽しみだったのだろう。
徳川家きっての絶倫として知られる2人の共通点は、食事に気を遣う「健康オタク」だったことだ。
「長命こそ勝ち残りの源である」と常々、語っていた家康は粗食を常とし、一貫して麦飯を食べたという。加えて故郷の三河(愛知県)で作られていた豆味噌(現代の八丁味噌)を使った味噌汁を好んで口にしていた。とくに豆味噌には、精力増強、勃起力増強効果のあるアルギニンが豊富に含まれている。
家斉はオットセイのペニスを粉末状にした漢方を精力剤として服用していた。それだけではなく、健康のために当時はゲテモノ扱いされていた牛肉や、牛乳を煮つめて作る「白牛酪」という加工品をよく口にしていたという。動物性たんぱく質は、テストステロンの分泌を促し、乳製品は血流を良くする効果がある。性生活を謳歌するには理想の食事だったのである。
「勃起力を維持するために食事は重要です。たんぱく質を多く含む肉や魚のほかに、テストステロン増強作用が期待できるニンニク、ニラ、ニンジンなどを摂るのがいいでしょう。亜鉛も精力を高める効果があり、多く含まれている牡蠣、ウナギ、大豆などがおすすめです」(前出・永井氏)
明治時代で一番の性豪といえば、間違いなく松方正義だろう。日本銀行を設立するなど、輝かしい業績の裏で“性”に明け暮れていた。明治天皇から子供の人数を問われたとき、松方は即答できず、「後日調査の上、御報告申し上げます」と述べたエピソードは有名だ。20人以上の妾を囲って26人の子供を作ったというから、それもうなずける。