京都・智積院から、金色に輝く長谷川等伯の障壁画が東京へやってきた。
〈京都国立博物館〉からもほど近い東山の地に建つ〈智積院〉。承和2年(835年)に高野山で入定した弘法大師空海を宗祖とする真言宗智山派の総本山だ。
この〈智積院〉に伝わる長谷川等伯の《楓図》とその子、久蔵による《桜図》はいずれも国宝に指定されている。現在の〈智積院〉が建つ場所には豊臣秀吉が幼くして亡くなった息子、鶴松(棄丸)の菩提を弔うために建立した〈祥雲禅寺〉という寺があった。《楓図》などの金碧障壁画群はもともとこの〈祥雲禅寺〉にあったものだ。〈祥雲禅寺〉と障壁画は鶴松の三回忌となる文禄2年(1593年)までには完成したと推定されている。
〈智積院〉は和歌山県にあったが、豊臣秀吉の軍により被害を受け、慶長3年(1598年)に東山に移ってきた。その後、徳川家康からの寄進を受けるなどして再興を遂げる。等伯らの〈祥雲禅寺〉の障壁画は〈智積院〉で大切に守り伝えられてきた。今回は寺外で障壁画群を同時公開する初めての機会だ。
花びらの一枚一枚が盛り上がる力強い《桜図》は若き長谷川久蔵の作とされるもの。金地に太い幹が桜の生命力を暗示する。が、久蔵はこの絵を描いてまもなく、急逝してしまう。同じく金地に楓の古木が枝を広げる《楓図》には息子を失った等伯の心情がこめられているようにも感じられる。楓の下にさまざまな草花が咲き誇る画面には円熟味が漂う。
今回は〈智積院〉の堂内を荘厳(装飾)してきた仏画や曼荼羅などが並ぶのも魅力だ。重要文化財《孔雀明王》、同じく重要文化財の《童子経曼荼羅図》は鎌倉時代のものだが、今もなお豊かな彩色をとどめている。国宝《金剛経》は中国・南宋時代の書家、張即之の代表作。日本の書家がお手本にした、堂々とした筆跡が印象的だ。
〈智積院〉には江戸時代にも有力者から数多くの名品が寄進されている。重要文化財《瀑布図(滝図)》は墨の濃淡で流れ落ちる滝の水や飛沫を描く。ごうごうという水音まで聞こえてきそうな逸品だ。徳川綱吉の《蓮舟観音図》は、将軍が狩野派から習った画技が光る。時代が下って1958年、京都画壇の大家、堂本印象が描いた《婦女喫茶図》は屋外のテーブルで2人の女性がお茶を楽しんでいる襖絵。この絵は通常非公開であり、京都でも限られた時期にしか見ることができない。