虚子の孫、稲畑さん逝く 季題の詩、世界へ発信 いのち見つめ、震災詠も
祖父高浜虚子、父高浜年尾に学んで句作を始めたのは小学生の頃。小林聖心女子学院英語専攻科を中退後は、虚子らに同行して全国を巡り、俳句修業に専念した。1956年、24歳で結婚。2男1女の母となり、独自の「いのちを詠む俳句」を極めていく。
79年に「ホトトギス」主宰を継承後は日本伝統俳句協会の設立、虚子記念文学館の開設など精力的に活動。特に俳句の海外への普及には熱心で、欧米各国での吟行や講演を通じ、伝統俳句の神髄である季題(季語)の意義を説いた。
自然に寄り添う心を一層深めたのが、95年の阪神・淡路大震災だった。「地震は強烈な自然のメッセージ。体験を作品に残すのは文学者の務めだ」と主張。〈悴みて地震の夜明を待つばかり〉〈被災地に育つ冬芽のたくましく〉など、発生から復興の過程までを句に詠み継いだ。
後進の育成にも情熱を傾け、門下の俳人たちを慈しんだ稲畑さん。神戸新聞文芸選者で俳誌「田鶴」主宰の水田むつみさん(79)=兵庫県宝塚市=は、本格的に俳句を始めた40歳から稲畑さんに師事。「作り手、主宰としてのあり方、花鳥諷詠の神髄と、全てを教わった。正しいことを貫く強さと包容力を持っておられた。大きな喪失感」と涙ぐんだ。学んだことをかみしめていくと水田さん。「これからも見守ってください」
結社「諷詠」4代目主宰の和田華凜さん=神戸市東灘区=は「自然を愛し、骨太で心の通った句を詠まれた。太陽のような方で、何があっても真っすぐ目を見て『大丈夫よ!』と励ましてくださった」としのんだ。(平松正子、網 麻子、新開真理)