ピカソ「青の時代」からその人生を振り返る。ポーラ美術館で大規模展
青の時代を超えて」が始まった。会期は2023年1月15日まで。その後、ひろしま美術館に巡回する(2023年2月4日~5月28日)。
「青の時代」とは、パブロ・ピカソ(1881~1971)が20歳から23歳の頃、青を主調色に貧しい人々の姿を描き、生と死や貧困のテーマの深奥に踏み込んだ時代のことを指す。バルセロナとパリを往復しながら生活し、親友カサジェマスの自殺を経て、
精神的な苦悩に向き合ったピカソ。自身も困窮しており、この時期に制作された絵画の多くは、 同じキャンバスに何度も描き直しがなされているのが特徴だ。
本展は、国内でも屈指のピカソ・コレクションを誇るポーラ美術館とひろしま美術館の共同企画。欧米の美術館の協力を得て深めてきた作品研究をもとに、ピカソの制作のプロセスに焦点を当て、絵画芸術に挑んだその作品を初期からとらえ直す試みだ。担当学芸員はポーラ美術館が今井敬子(学芸課長)、東海林洋(学芸員)、ひろしま美術館が古谷可由(学芸部長)、森静花(学芸員)、農澤美穂子(学芸員)。監修には今井と古谷のほか、海外からアドゥアル・バジェス(カタルーニャ美術館近現代美術主任学芸員)とレイエス・ヒメネス(バルセロナ・ピカソ美術館保存修復部門長)が参加している。
本展開催の準備に長期間取り組んできた今井は、「ピカソの『青の時代』の展覧会は4年前から欧米で行われており、最新の研究成果が取り入れられてきた。本展はこのバトンを受け取るかたちで、日本の皆様に見ていただく機会だ」としている。
展示は、「1900年の街角―バルセロナからパリへ」をプロローグとして、「青の時代
―はじまりの絵画、塗重ねられた軌跡」「キュビスム―造形の探究へ」「古典への回帰と身体の変容」「南のアトリエ―超えゆく絵画」の4章で構成。
冒頭では、ピカソが15歳の頃に描いた自画像(1896)をはじめ、ピカソをパリに導いたルシニョルの作品のほか、ピカソがパリの空気を吸った1900年前後の作品が並び、本展主題の「青の時代」へと移っていく。
ピカソの「青の時代」にあたるのは1901年から1904年。これは、ピカソの親友カサマジェスが1901年初頭に自殺したことがきっかけだった。19歳だったピカソは、バルセロナとパリを往復しながら、青を主調色に貧しい人々の姿を描き、生と死、貧困といったテーマへと踏み込んでいく。
この時期のピカソは困窮しており、制作された絵画の多くは同じキャンバスに何度も描き直しされている。その作例であり、本展のハイライトとなるのが《海辺の母子像》(1902)と《酒場の二人の女》(1902)だ。
ポーラ美術館などの調査により、《海辺の母子像》と《酒場の二人の女》それぞれの作品の下層には別の図像が描かれていることがわかっており、会場では実作とその下層部をあわせて紹介。「青の時代ラボ」と称されたコーナーでは、海外研究者らの協力を得た、詳細な研究成果を知ることができる。
例えば《海辺の母子像》(1902)と海辺の母子像は、
2018年にその下層部に新聞紙が反転した状態で貼付されていることや、女性と子供の像が描かれていることがわかっていた
が、さらに調査を進めるなかで、下層には子供や酒場の女性、男性とビールジョッキがそれぞれ描かれていることが判明した。
また《酒場の二人の女》の下層には、うずくまる母子像と思われる像が描かれていたこともわかっている。つまり、《海辺の母子像》と《酒場の二人の女》には「酒場の女性像」「母子像」という共通点が見出せるということだ。
なお本展では、青の時代の名作として海外から《鼻眼鏡をかけたサバルテスの肖像》(1901)、《青いグラス》(1903頃)も来日。その下層部まで想像して作品に目を凝らしてみてほしい。
「青の時代」を経て、ピカソは「薔薇色の時代」、そして「キュビスム」へと進み、成長していく。ジョルジュ・ブラックとともに幾何学的な様式を模索していたピカソは、1909年(27歳のとき)にキュビスムを確立。1912年にはコラージュも取り入れ、独自の表現を探求していった。
会場では、キュビスム初期の《女の半身像(フェルナンド)》(1909)や、同作との共通点を見出せる彫刻《女性の頭(フェルナンド)》(1909)、ピカソの恋人エヴァの死の前後に描かれた《肘かけ椅子のベルベット帽の女と鳩》(1915-16)などが並ぶ。
これ以降、ピカソは結婚と長男誕生を契機とし、自分の画力を誇示するように古典的な作品も制作。そのいっぽうで、キュビスム的な表現も保持し、古典を踏まえた新たな表現を模索していった。1920年代からはシュルレアリスムの作家たちと交流し、その技法を取り入れている。展示からは、ピカソの技量の高さ、そして表現の幅の大きさがよくわかるだろう。
展示終章となる「南のアトリエ」では、第二次世界大戦以降のピカソにフォーカスする。
大戦後、ピカソが南仏の街に移り住み、絵画のみならず多様な制作を続けたことは広く知られているだろう。《ラ・ガループの海水浴場》(1955)は何度も描きなおされた作品。会場ではドキュメンタリー映画『ミステリアス・ピカソ
天才の秘密』(1956、抜粋)により、その試行錯誤のプロセスを垣間見ることができる。
この展示室で注目したいのは、同じモデルを描いた2つの作品《シルヴェット・ダヴィット》と《シルヴェット》だろう。両作とも1954年の制作にも関わらず、描き方がまったく異なっている。幾何学な《シルヴェット・ダヴィット》と写実性の高い《シルヴェット》。ここから、ピカソはスタイルを変化させていったのではなく、積層させ、使い分けていることがわかる。
「青の時代」を原点とし、実験的なキュビスムの探究、さらに円熟期から晩年に至るまで、91年の生涯を通して旺盛な制作意欲を絶やすことのなかったピカソ。本展は、「プロセスこそが作品だった」(東海林)ピカソの人生を改めて振り返る機会となっている。