移民文化が生んだ懐かしいハワイのお菓子「クラックシード」とは
ウメ(学名Prunus mume)の果実を広東語で「シームイ」と言うが、これがハワイでリーヒンムイになった。赤みがかった色と、リコリス(甘草)、塩、砂糖を混ぜたものに漬け込むことで生まれる独特の甘ずっぱい風味が、リーヒンムイの特徴だ。丸ごとやスライスしたもののほか、乾燥させて粉にしたものも売られている。この粉末をグミやアイスクリーム、生の果物にも振りかける。
広東語でリーヒンムイとは「旅する梅」という意味だが、ハワイでの歴史を考えると、まさにぴったりの名前だ。
米ハワイ大学ウエストオアフ校の労働教育研究センターによれば、19世紀中頃に中国からの移民が、梅の菓子を持ち込んだと考えられている。20世紀まで、ハワイのプランテーション農場は、ポルトガルや日本、フィリピン、韓国、プエルトリコからの労働者を積極的に募集していた。3年から5年の契約期間を終えた労働者の中には米国本土に移住する者もいたが、多くはそのままハワイに根を下ろした。プランテーション時代の異文化の融合は、米国のそのほかの地域では見られないものだった。
「次第にプランテーションを離れ、中華街のような場所に住む人が増えました。土地が安かったため、店を始めるのも難しくはありませんでした」と、米カリフォルニア州立大学フレズノ校の人類学教授フランクリン・イング氏は説明する。中国系のイング氏は、ホノルルの中華街の近くで育った。米国で最も古い中華街の一つだ。
「中華街地区には、ハワイ人の店と並んで、中国人、日本人、フィリピン人の店もありました。その多くは経済的に同じ階級に属していたため、食べ物を無駄にせず、互いに物を分け合うようになりました。リーヒンムイは、長い1日の後で安らぎを与えてくれる、あまりお金のかからない食べ物でした」