久保田久夫の一筆両断 「アベノミクス」を超えて 「大胆な金融政策」の評価
しかしながら、経済政策の評価は、その公表された目的だけで評価されるべきではなく、それが経済全体にどういう影響を与えたかを総合的に勘案して行われるべきであろう。
■経済の下支えと円の安定
この政策のもたらしたメリットの第一は、景気の下支えに寄与したことである。この時期、世界的には平成20年に発生した「金融危機」からの脱却はいまだ十分ではなく、令和2年には歴史的な疫病である新型コロナへの対応が求められた。加えてわが国ではそれ以前からの恒常化したデフレ的経済があった。その時期の景気の下支えは大事なことであった。第二に、当時広く求められていた「円高」の是正をもたらした。この結果、一ドル80円台であった円は、早々に110円前後の水準となり、今次の急速な円の下落が始まる以前の3年末までおおむねその水準で安定的に推移した。
他方、この政策に伴うデメリットも大きい。第一に、短期金利に加えて長期金利をも抑制するというこの異常な金融政策は、金利の低下とイールドカーブのフラット化により金融機関の収益を圧迫し、金融制度の不安定化の要因となり、金融資産の利回りの低下を通じて年金制度の脆弱(ぜいじゃく)化をもたらしつつある。第二に、大量の長期国債を定期的に購入するという政策は、その低金利政策と相まって財政規律を著しく弛緩(しかん)させた。第三に、わが国では中央銀行は長期国債に加えて、J―REITおよびETFを購入したが、その結果、これらの資産の価格は人為的に押し上げられているはずである。これらの資産、特に株式や不動産の価格が実力以上に上昇していると考えられ、これはいわゆる「バブル」を形成しているとみられる。
このようにこの政策には相当のデメリットを伴うにも関わらず、わが国を含め世界はこのような政策を採用した。その理由は、平成20年に発生したわが国では「リーマン・ショック」と言われている世界的な金融危機の底が格別深く、また令和2年初めに広まり始めた新型コロナがもたらす経済的・社会的苦境がそれだけ厳しく、こういう政策を採らざるを得なかったからである。このことは、この政策は本来的にそういう苦境がある程度改善されるか、又はその効果が不十分であると判断された場合には、早急にとりやめるべき短期的かつ一時的措置であることを意味している。諸外国がある程度の成果を得た上で、早々にこの政策から手を引き始めたのは当然であった。
■累積する副作用
留意すべきは、この副作用(以下、「デメリット」という言葉の含む価値判断的要素を排除するため「副作用」という言葉を使う)の中には、これから顕在化するものがあるということである。将来、低金利政策が修正され金利の正常化が進めば、それは既に総歳出の22%を超えている国債費の支出をさらに増大させる。その政策の正常化に伴い、現在続いている日銀による大量の国債の購入が減少することになれば、市場による更なる国債の購入が求められ、それは結果として、必要な歳出の確保を困難にする可能性がある。そうでなくとも、既にGDPの260%と推定されるわが国の公的債務の存在は、将来においてもわが国の経済政策への信認を脅かす要因であり続ける。ちなみに年初来の急激な円安の進展をもたらしているのは、日米両国の金利差であると一般的に説明されているが、このわが国の財政状況、更にはわが国の経済政策一般への疑問符がその背景にあることも十分考えられるところである。
かくして、この金融政策についての評価と今後の方向性については次のようにまとめられよう。
「大胆な金融政策」は、それなりの成果をもたらした。ただ、それは本来的に異常時に対する緊急の政策であり、大きな副作用を伴う。その中にはいまだ顕在化しておらず、将来現れるものもある。
この政策は消費者物価を2%上昇させるという公表された目的を達したとは言い難く、その政策の継続によってそれが達成されるという可能性は低い。他方、その副作用はその政策が続く限り累積していく。結論として、この対策は早急に改められるべきであり、その着手は早ければ早い程良いと考えられる。
恐らく、この政策がわが国にもたらした最大の副作用は、その財政政策に関するものであろう。それはわが国の財政規律を著しく弛緩させた。具体的には、中央銀行が大量の国債を購入することによって、政府は市場が消化しうる以上の国債を発行しうることとなり、これは予算の膨張を招いた。また、異常な低金利は、政府の支払うべき国債の金利を極めて低いものとし、これも同様の効果を持った。これらの金融政策は「経済再生なくして財政健全化なし」とのスローガンの下できめの粗い財政政策に結びついていったと考えている。これらについては次回で詳しくとり上げる。
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【久保田勇夫(くぼた・いさお)】 昭和17年生まれ。福岡県立修猷館高校、東京大法学部卒。オックスフォード大経済学修士。大蔵省(現財務省)に入省。国際金融局次長、関税局長、国土事務次官、都市基盤整備公団副総裁、ローン・スター・ジャパン・アクイジッションズ会長などを経て、平成18年6月に西日本シティ銀行頭取に就任。26年6月から令和3年6月まで会長。平成28年10月から西日本フィナンシャルホールディングス会長。