『鎌倉殿の13人』いよいよ最終回…「三谷脚本」は史実とどう折りあったか 時代考証に聞く<下>
――ドラマはいよいよクライマックスの承久の乱を残すだけとなりました。
承久の乱は源平合戦とともに日本全国を巻き込んだ大乱ですが、戦い自体は1か月で終わります。歴史的には、そこに至る過程をしっかり描くことが非常に重要なんです。その端緒となったのは建保7年(1219年)の実朝暗殺事件で、三谷幸喜さんもわれわれ時代考証も、実朝暗殺から承久の乱に至る過程を丁寧かつ綿密に描くことに心がけました。
義時は実朝の死後、実朝の後ろ盾だった後鳥羽上皇と対立します。オープニングのタイトルバック(※5)にはたくさんの石像が出てきます。制作者に直接うかがったわけではありませんが、最後に出てくる公家と武者はおそらく後鳥羽上皇と義時で、主人公の義時がラスボスの後鳥羽上皇と対決することを暗示している、と私は考えています。
※5 タイトルバック:映画やテレビドラマなどの映像作品のオープニングやエンディングなどで、テーマ曲や題字とともに配役、スタッフを紹介する部分をいう。『鎌倉殿の13人』のタイトルバック映像は映像ディレクターの高野善政さんが担当した。
――視聴者を引き込むドラマにするには、登場人物の心情なども丁寧に描かなくてはなりません。
三谷幸喜さんは人間ドラマを描いているので、もちろん学説とは別の描き方になります。ご自分でもいくつかのメディアに書いておられますが、三谷さんは義時を「闇落ち」させて、最終的には映画『ゴッドファーザー』のマイケル・コルレオーネ(※6)のようにしようと思っているようです。そこで義時を悪人に、実朝を純粋な人に描いて対立するような脚本にしたんです。
※6 マイケル・コルレオーネ:『ゴッドファーザー』でアル・パチーノが演じたマフィアのボス。権謀術数を駆使してのし上がるが、最後は家族を守る行動が家族を崩壊させるという悲劇に見舞われる。
ドラマには実朝が暗殺される前に、義時に「いずれ西に幕府を移すつもりだ」と打ち明けるシーンがありました。考証会議では「実朝がそういうことを言う可能性はありますか」と聞かれて、「さすがにそれはないですね」と答えたんですが、削られずに残っていましたね。実朝にああ言わせて政治姿勢の違いを際立たせる必要があったということでしょう。
義時は「西に幕府を移す」という実朝の意向を弟の北条時房に話して、「これからは修羅の道だ」と言います。あれを聞いて、私も視聴者の皆さんと同じく「これまでも十分修羅の道だったじゃないか」と思いましたが……。義時は亡くなった兄の北条宗時の意思を継いで東国に武士の国家を作ろうとします。一方で、歴代の鎌倉殿は源頼朝も頼家も実朝も、鎌倉は大事にしつつ、心の中では京を向いていました。