「“正しい日本語”というのは幻想だ」…国語辞典のレジェンド編集者がそう言い切る、意外な理由
今では読者から“国語辞典のレジェンド”と称される神永さんだが、辞典編集の職に就いたばかりのころは、仕事がイヤでイヤで仕方なかったと笑う。
「もともとは文芸書を作りたくて出版社への就職を目指していたのですが、思うようにいかず、小学館の関連会社で辞典や教科書を作っている尚学図書に入社。
自分の意志はまったく関係なく(笑)、人事で『日本国語大辞典』の編集部に配属となったのです。『日本国語大辞典』は小学館が刊行している辞典なのですが、当時、尚学図書には編集部の主立ったメンバーが残っていて、『日本国語大辞典』の改訂作業はここで行っていたんです。」
「辞書の編集者は毎日、辞書の“あ”から“ん”までのゲラ(ゲラ刷りの略。印刷物の校正をするための試し刷り)を、『今日は●●ということばから、▲▲ということばまで』とひたすら読んでいき、記載内容に間違いや引っかかるところ、不備がないかを探していきます。
初校(最初の校正用のゲラ刷り)から、雑誌の場合は再校(初校戻しの修正を反映したゲラ刷り)、多くても三校くらいまでで校正は終わりですが、辞書の場合は五校、六校まで取っては、ずっと校正し続けるんです。
本当に終わりの見えない世界で、『俺は一生、こんなことをやるのか……』とかなり憂鬱になっていました(笑)」
しかしその地道な作業と向き合ううち、神永さんはことばと丁寧に向き合うことに面白さを感じるようになっていった。
「辞書に採録することばは、専門家の先生や研究者がさまざまな日本の文献から拾ってきます。辞書作りを通じて、名前だけ知っていた本やまったく知らなかった本を目にする機会が増えました。
なじみの薄かった古典文学に触れられて楽しかったですし、実際に使われている言葉を掘り起こしていくという作業に興味をもち始め、『辞書とは面白い世界だな』と思うように。
どんなことばにも生まれた背景があり、時代を経て使われるうちに意味が変わってくるものもあります。それはひとつの“歴史”として捉えられる。辞書編集とは、ことばの歴史を辿る作業でもあるのだと気づいたのです」