【書評】追悼・冒険小説の「レジェンド」逝く:ジャック・ヒギンズ著『死にゆく者への祈り』

今年4月9日、世界的ベストセラーとなった『鷲は舞い降りた』で知られる英国の人気作家ジャック・ヒギンズが死去した。享年92。本作は、アイルランド紛争を背景に、一匹狼の殺し屋が自分なりの正義と流儀をつらぬいて、盲目の女性を救出するため、あえて死地に赴いていく物語だ。ヒギンズが好んで描くヒーロー像の、原点ともいえる作品である。
日本では新聞に小さな訃報が掲載されただけだが、欧米では大きな扱いになっていた。まずその紹介から。
英国では、BBCが「『鷲は舞い降りた』だけで5000万部が売れ、全作品で2億5000万部が売れている」「大手出版社のハーパーコリンズは、彼のことを『レジェンド』と呼んでいた」と報じている。
ヒギンズの代表作である同作は1975年に刊行された。第二次大戦末期、敗色濃厚のナチスドイツは、ヒトラー総統の発案で英国のチャーチル首相誘拐を企てた。選ばれたのが精鋭のパラシュート部隊員。隊長はじめ彼らはナチスに批判的だったが、決死の任務をまっとうしようとする。
英ガーディアン紙は、特集記事を組んだ。興味深いのはベストセラー作家になってからの彼の執筆生活。同紙によれば、「イギリスの高額な税金に直面し、彼は租税回避のために英領ジャージー島に逃れた。彼の執筆形態は手書きで、毎夕、好きなイタリア料理店で始まり、そのあと自宅に帰って徹夜で書き続け、夜明けに1杯のシャンパンとベーコンエッグの朝食をとってベッドに入った」とある。
米ニューヨークタイムズ紙の記事も面白い。『鷲は舞い降りた』についてヒギンズは、「イギリスの出版社幹部から『それは悪いアイデアだ』と言われた。『誰が、ドイツの部隊がチャーチル首相を誘拐するような話に興味をもつのか。ヒーローがいないので、大衆は支持しないぞ』と。だから最初にアメリカから出版され、大ヒットとなった後、イギリスでも出された」と記述している。
米ワシントンタイムズは、「世界中の空港内の書店に彼の本が置いてある」大衆的な作家と評している。ヒギンズは数多くの作品を遺しているが、なかでもアイルランド紛争にちなんだものが目につく。それは少年時代の彼が、母親とともにベルファストにある母方の実家で暮らし、カトリックとプロテスタントとの血で血を洗う抗争を目の当たりにして育ったからだ。今回紹介する『死にゆく者への祈り』は、まさにその人生経験が投影されている。