世界が「奇跡の歌声」に絶賛…!オペラ歌手「三浦環」アメリカ公演成功の舞台裏と「過酷なエピソード」
大正四年(1915)九月。
環と政太郎を乗せた船が出帆する前、船で渡る大西洋にはドイツの潜水艦が出没するのではないかと危ぶまれた。けれどもひとたび船が大洋へ出ると、環も政太郎もひどい船酔いに苦しんだ。潜水艦と遭遇することなく、無事ニューヨークへ着いた時は二人とも命拾いしたこと以上に船酔いのない地上へ上陸することが嬉しかった。
港でニューヨークの在留邦人が総出で出迎えたところへ、ボストン・グランド・オペラ・カンパニー総支配人、マックス・ラビノフが現れた。ロンドン・オペラハウス《歌劇 マダム・バタフライ》の環の評判を聞き、アメリカでの公演を打診し、旅費を送ってきた男である。
ラビノフは早速、環へ二つのことを言い渡した。一つは、常に日本の着物を着ていること。これについては環は何の抵抗もなくうなずいた。そして、ラビノフは、
「もしかして、あの方はドクター・ミウラでしょうか」
と、出迎えに来た在留日本人と話している政太郎の方を見た。環はうなずいた。
「外出する時は、ドクター・ミウラと一緒に歩かないでください」
あなたの人気に関わる大問題なのだと言う。政太郎のことまで口出しされるのは理不尽に感じた。ロンドンから動かないと言い張った政太郎を説得してついてきてもらったというのに。けれどもラビノフはこれから契約を結ぶマネージャーである。従うしかなかった。環は政太郎と別行動をとる決心をする。
環はすぐさまニューヨークを発ち、シカゴへ向かうことになった。ラビノフは、「ニューヨークであなたの声を聴かれでもして、妙な評判が立ってはならないのです」と言った。
政太郎をニューヨークへ残し、環はラビノフに連れられて列車に乗る。ニューヨーク発シカゴ行き、二十世紀特急だった。列車は走り出すと急激に加速した。「二十世紀」という名の特急はニューヨークからシカゴまで約千五百キロメートルの距離を二十時間かけて走った。
停車駅はごく少なくハドソンの川岸、五大湖の畔ほとり、勾配の少ない路線を高速で走行し、夜通し走るため、寝台車のみが連結されていた。
料金は一般運賃、寝台料金の他に特別料金も必要だったが、設備が豪華なことで知られ人気が高かった。贅沢な特急列車の旅にもかかわらず、環は船酔いの抜けきらぬまま列車に揺られていた。後に環はこう語っている。
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この列車のサービスは誠に至れり尽せりで、私のコンパートメントには女中がしょっちゅう用をききに来る。マヌキュアー・ガールがやって来る。けれど私は気持が悪くて爪磨きなぞうわの空でした。お蝶夫人 三浦環遺稿』(吉本明光編、限定版、右文社刊)(以下、「遺稿」)
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食事は必ず食堂車ですると決まっていたがラビノフは環が乗り物に弱いことを察し、寝台車へ食事を運ばせるよう手配した。到着したシカゴの宿泊先はオーディトリウム・ホテルだった。
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ロビーを見てびっくりしました。まるで銀座通りみたいに沢山の人々が往来しているのです。(遺稿)
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部屋に入ると休む間もなく、環を紹介するための記者会見兼パーティーに出るための準備をしなければならなかった。
こんな時、政太郎が居てくれたら。
その時、部屋をノックする音がした。ドアを開けるとラビノフから申し使ったという白髪の女性が立っていた。
「何かお手伝いすることがあれば」
環のお付きのメイドだった。環はこの英国式マナーが身についたメイドの手を借りて早速パーティーの着物に着替え始めたのだった。
お付きの者がついたのは初めてだったし、環を紹介するためのパーティーが催されるのも初めてだった。
記者会見兼パーティーの会場である大食堂には長いテーブルが並び、シカゴ市長夫妻、社交界の著名人、音楽界の名士、雑誌、新聞記者が環が現れるのを待っていた。
ラビノフは環が会場へ入る前に言った。
「マダム・ミウラ、記者たちはあなたに様々な質問をするでしょう」
「上手く答えられるでしょうか」
「困ったら私の方を見てください、お助けしますから」
「ありがとうございます」
「一つだけ、言っておきますと」
「はい?」
「マダム・ミウラ、お歳は? お幾つでしょう? と、必ず聞かれるでしょう」
「はい、三十二歳です」
「いけません、正直に答えては。芸術家はいつもスプリング・チキンのように」
「Spring chicken?」
「フレッシュであるべきです」
何だか難しい。環は答えに窮する時は黙ることにした。
結局、その日の記者会見では、ラビノフへ視線を向けると、環に代わり、適当な言葉で上手く答えてくれて、滞りなく会見は終わった。
その晩、ラビノフはホテルのフロントで、
「I see you later」
と環に言い残し帰っていった。環は彼が後で再び会いに来るもの、と思い込んでその場で待っていた。けれどもラビノフは戻ってこない。
環は変だなあ、と待ちくたびれて部屋へ帰った。I see you later. さようなら、という挨拶としてラビノフは使ったのだが、環はそのことに気づくまで同じことを何度も繰り返した。