なぜハイデガー哲学は、母国ドイツでタブーとされるのか?
ハイデガーは20世紀のもっとも重要な哲学者であり、その後の哲学の展開にも大きな影響を与えたのだから、彼の哲学に人びとが関心をもつのは当然のことだと思われるかもしれない。日本ではハイデガーの主著『存在と時間』は翻訳が10種類以上も存在し、そのうち13種の翻訳は21世紀に入ってから刊行されたものである。ハイデガーに関する研究書や解説書も毎月とまでは言わないにせよ、年に数冊は刊行されている。
こうした状況を見ると、ハイデガーの人気は今なお盤石のように見える。しかし外の世界に目を向けると、このことはまったく自明ではなくなる。ハイデガーの生国ドイツでさえも、日本のように一般読者向けの「ハイデガー本」がこれほど刊行されることはちょっと想像しがたいのだ。
もちろんドイツでも、ハイデガーはまったく関心をもたれていないわけではない。しかし彼が関心を集めているのは、圧倒的にナチス加担に関わる「負の側面」においてである。2014年、俗に「黒いノート」と呼ばれる、ハイデガーの覚書が記されたノート群が全集版として刊行されはじめた(「黒いノート」という呼び名自体は、覚書を書き留めたノートが黒いカバーをもつことに由来するのであって、それ以上の深い意味合いはそこにはない)。そのうちの、1930年代終わりから1940年代はじめにかけて書かれたいくつかの覚書の中に、反ユダヤ主義的な言辞が含まれていることが大きなスキャンダルとして報じられたことは、いまだ記憶に新しい。
ハイデガーが一時期、ナチスを支持していたことは、以前から周知の事実だった。しかしハンナ・アーレント(1906ー1975)やカール・レーヴィット(1897ー1973)をはじめとする多くのユダヤ人の教え子や友人と親交を結んでいたこともあり、彼を反ユダヤ主義者と捉える向きはこの刊行以前にはそれほど多くはなかった。ところが「黒いノート」の刊行によって、紛う方なき反ユダヤ主義者と見なされることになったのだ。