沖縄・石垣島での、血の気が引くような旅の始まり。写真家・植本一子の記憶
知らない街の景色を思い浮かべてみたり、そこに生きる人々の温度を感じたりすることは、これからの生き方を考える、ひとつのヒントになるのかもしれません。
この連載「あの人と街の記憶」では、さまざまな表現者が、思い入れのある街と、そこで出会った人との思い出やエピソードを私的に綴ります。5回目は、写真家の植本一子さん。夏の沖縄・西表島での、困った旅の始まりについて。
夫が亡くなった年の夏に旅行を計画した。心がすっかり疲弊し、どこか遠くへ行きたいと思ったのだ。
ずいぶん大きくなったとはいえ、子ども二人に対して私一人は負担が大きい。そこで旅行の同行者として白羽の矢が立ったのが、以前から交友のある友人夫婦だった。夫の闘病が始まってから、二人はたくさんの面で私たちをサポートしてくれた。二つ返事で行くことに賛同してくれたので、慣れないながらも言い出しっぺの私が旅行の段取りを始めた。
行き先は沖縄の石垣島に決定。夏休み前、繁忙期直前の平日。値段が安く済み、かつすいている時期を狙った。お互いに自営業である私と友人はいいものの、子どもたちは学校を休ませることになる。とはいえこれまで大変だったのだから、このくらいは許されるだろう。
しかし、初めての人気観光地をなめていた。手の出せる金額のホテルや民宿は、すでにほとんどが埋まってしまっていたのだ。石垣島は全滅。唯一残っていたのが、石垣島からフェリーで40分ほどの位置にある、西表島にあるバンガローだった。食事は出ないが、自由度が高く気楽そうだ。
午前中の便で羽田から石垣島へ。約3時間のフライトの末に着いたのは小さな飛行場だった。東京は連日の雨模様だったが、こちらはすっかり晴れ渡っている。飛行場からフェリー乗り場へ行くと、高波の影響で、西表島にある2つのうちのひとつの港が封鎖されているという。それは私たちが向かう予定の港。
焦ったものの、窓口で聞くと、ふたつの港を結ぶバスが出ている様子。一安心し、ひとまず西表島に向かうフェリーのチケットを買うと、さっそく待ち時間に売店のブルーシールアイスやら、島ぞうりを買い求めた。飛行機を降りた瞬間から体にべたつく甘い空気にすっかり気も緩み、全員がはしゃいでいた。