大反響話題作『サーカスの子』試し読み!夢と哀愁に満ちた「サーカスの時代」と「その後」をたずねて
幼少期を「キグレサーカス」で過ごした作家・稲泉連氏の自伝的ノンフィクション『サーカスの子』が各メディアで話題だ。1970年代後半から80年代に人気絶頂を迎えたキグレサーカスは、芸人たちが家族ぐるみで全国を渡り歩く「共同体」だった。当時共に暮らした芸人たちを訪ねた著者は、華やかなショーの舞台裏と、彼らの波乱万丈の人生を描いていく。約40年前、サーカスの炊事場で働くことになった母に連れられて、サーカスにやってきた幼い「僕」は…。(本記事は『サーカスの子』の一部を抜粋し、WEB用に再編集したものです。)
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あのときの風景を思い出すと、僕はいつも不思議な気持ちになる。懐かしいような、あるいは全てが夢であったような、もし人生の時間を巻き戻せるなら、あの風景をもう一度だけ見てみたい、というような気持ちだ。
それを「郷愁」と呼んでいいものなのかどうか、僕にはよく分からない。
でも、その感覚は自分の胸の裡にも「帰りたい場所」があるのだということを、確かに教えてくれている気がする。
僕がそのときいた「サーカス」という一つの共同体は、華やかな芸と人々の色濃い生活が同居する世界、いわば夢と現が混ざり合ったあわいのある場所だった。だから、というのも変な話なのかもしれないけれど、たとえそれが現実にはなかった記憶だとしても一向に構わない、という気さえする。ただ、僕は、僕にとっての失われた風景を、ここに書くことによって、残しておきたいと切実に思うのである。
キグレサーカスで働こうと思い立ったとき、母は東京の広告代理店でアルバイトとして働いていたという。
その頃の僕らは渋谷区の笹塚駅近くのアパートに暮らしていた。母は僕が三歳のときに父と別れたそうだから、一年間ほどの母子家庭での生活にほとほと嫌気が差していたのかもしれない。保育園に行きたがらない僕に手を焼き、同じ母子家庭の友人と子供を預け合いながら働いていたが、それでは仕事が人並みにできない。
母が風変りだったのは、その中で子供と一緒に働ける職場を探し、サーカス団で働くというアイデアに辿り着いたことだった。