洋画家・野見山暁治が102歳で逝去。戦没画学生慰霊美術館「無言館」設立にも尽力
野見山は1920年福岡県出身。東京美術学校油画科を卒業語、応召され満州に派遣された。46年に第2回西部美術展覧会で福岡県知事賞、48年に第12回自由美術家協会展で協会賞を受賞。52年から64年まで滞仏した。58年に第2回安井賞を受賞。92年に第42回芸術選奨文部大臣賞、2000年に文化功労者。
代表的な個展に「野見山暁治展」(1996、練馬区立美術館)、「野見山暁治展」(
2003、東京国立近代美術館/2004、大分市美術館、富山県立近代美術館、愛知県美術館)。また、久留米市美術館では6月4日まで野見山が寄贈した自作8点を所蔵作品とともに紹介する「野見山暁治の見た100年」(~6月14日)が開催されており、自身も会場に足を運んでいた。
野見山は自身が従軍した経験から、美術評論家の窪島誠一郎とともに長野・上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」の設立にも尽力。顧問を務めた。2005年には同館での活動について第53回菊池寛賞を受賞している。
著書も多く、『四百字のデッサン』(河出書房新社)では第26回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。雑誌『美術の窓』(生活の友社)では「アトリエ日記」を長く連載し、5冊の単行本が刊行されている。